モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

Mozartゆかりの都市(3)―リンツ

ヴォルフガングにとって初めての旅行となったミュンヘン訪問からザルツブルクへ戻ったほぼ半年後の1762年9月18日、モーツァルト家は再び、今度は母親を含めた全員で旅路に上りました。

 

その目的地は、音楽の都ウィーン。

 

交通の発達した現在では、ザルツブルクからウィーンまでほぼ直線的に辿ることができ、その距離は約300km、車や列車の利用により半日で着いてしまいますが、モーツァルトの生きた18世紀後半には状況が大きく異なっており、一家は先ず北上してパッサウへ向かい、そこでドナウ川を下る船に乗り、リンツを経由した後、移動に計五日を要して漸くウィーンへ到着しました。

 

一家はパッサウにも六日滞在したことが分かっているものの、特に目立つエピソードは残っていないので、この地は割愛してリンツをご紹介したいと思います。

 

 


20万あまりの人口を擁し、オーバーエスターライヒ州の州都として、また、ウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第三の都市として知られる現在のリンツは、歴史を感じさせる建物や美しい街並みの魅力もあり、多くの観光客を惹きつけています。

 

街の中心にはハウプト広場が置かれ、その周りには漆喰装飾で壁面を飾られた色鮮やかなバロック様式の建物が並んでいるほか、旧市庁舎、リンツ城、さらには新旧二つの大聖堂など、由緒ある建造物にも事欠きません。

 

リンツ風景

 

また、ここで作られる、軽快な食感のタルト生地にシナモンやアーモンドなどを添えた「リンツァートルテ」は、あらゆるケーキのルーツとも言われ、甘党には堪えられない味覚です。

 

有名なスイスの菓子メーカーが社名にこの地名を冠しているのは、上の伝承に対するオマージュも込められているのでしょう。

 


さて、リンツがモーツァルトとの関係で重要である第一の点は、ヴォルフガングを連れての旅行先から、レオポルトが初めて手紙を出した地だという事実にあります。

 

後にはヴォルフガングもまた数々の手紙を書くこととなりますが、それら膨大な書簡により、現代の我々が如何に多くのこと――当時における、各地の社会・経済・芸術や人情・風俗から、モーツァルトの生活・人生、そして作品まで――について知り得たかを鑑みれば、一見小さなこの事実を決して看過できないことがお分かり頂けると思います。

 

 


そしてもう一つは、それから21年後の1783年10月の終わりに、モーツァルトがザルツブルクへの帰郷からウィーンへ戻る途中で再びリンツへ立ち寄った際、交響曲の一俊峰たる「第36番 ハ長調 K.425」がこの地で誕生した点にあります。

 

リンツでは、ウィーンにおけるモーツァルトの後援者の一人、ヴィルヘルミーネ・トゥーン伯爵夫人の父親で、彼が神童として名を馳せていた時代からの一家の旧友であるフランツ・ヨーゼフ・トゥーン伯爵がモーツァルトの到着を待ち侘びており、彼の到着と同時に自らの屋敷へ招待し、そこへの滞在を勧めてくれました。

 

そして、11月4日に予定されていた、伯爵の企画による当地の音楽会で演奏する楽曲の作曲を依頼されたモーツァルトは、至れり尽くせりの歓待に報いるべくこれを快諾、そして書かれたのが、上記K.425なのです。

 

作品の出来栄えとともに、作曲依頼のあった10月31日から、わずか4日足らずでこれを書き上げたという事実を併せ考えれば、誰しも驚嘆を禁じ得ないでしょう。

 

また、従来、1778年パリでの作と見做されていた「ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333(315c)」も、この滞在中に書かれたと現在では考えられていることを付記しておきます。

 

なお、ヴォルフガングの滞在したトゥーン伯爵邸は、現在モーツァルトハウスとして残っており、ここを生誕地とするK.425をオーディオ再生により聴くこともできるので、音楽散歩のコースには是非入れておきたいところ。

 

また、この地では後にベートーベンが「交響曲第8番 ヘ長調 作品93」を書いていますし、さらにブルックナーは旧大聖堂のオルガニストを長年務めましたので、モーツァルト・ファンのみならず、より広い音楽愛好者にとってもリンツは興味の尽きない都市と言えるでしょう。