モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

弦楽五重奏曲 第2番 ハ長調 K.515

第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの編成で奏される弦楽四重奏曲西洋音楽において重要な位置を占めており、質・量ともに極めて多彩豊麗な作品の書かれていることは改めて言うまでもないでしょうが、ここにヴィオラもしくはチェロのパートを加えた弦楽五重奏曲となると、その数は一気に減少します。

 

これはモーツァルトにおいても同様で、彼の作曲した弦楽四重奏曲が20に余るのに対し、同五重奏曲の方はわずかに6つの完成作を残しているのみです。

 


その第1番は1772年末、ミハエル・ハイドンの提示した新たな弦楽五重奏曲に触発されて書かれたことは、現在ほぼ定説となっています。

 

しかしその後長らく、このジャンルが取り組まれることはなく、弦楽五重奏曲第2番は、15年後の1787年4月19日、ウィーンにおいて完成されたことが、モーツァルト自身により作品目録にはっきりと記されています。

 

こちらの作曲動機は第1番ほど明らかではありませんが、プロイセンのフリードリヒ2世(大王)のあとを受けて王位に就いたフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が、自らチェロを奏する音楽愛好家であることに頼みを掛け、この楽器を重用した作品を献呈することで然るべき地位および収入の確保を目論んだのではないかとの説も行われています。

 

実際、冒頭楽章における第1ヴァイオリンとチェロとの応答に、その証左の一端を聴き取ることは決して不自然ではないでしょう。

 

 

 

 


ところで、この「弦楽五重奏曲 ハ長調 K.515」には、"?"と思わせられる点が二つあります。

 


その一つは、本稿ではこれに"第2番"と番号付けしましたが、第3番と呼ばれることもあるという事実。

 

これは、ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルが、自らの力作にして後世に圧倒的影響を及ぼすことになる「モーツアルト全作品年代順主題目録」において、1782年に書かれた「セレナード第12番 ハ短調 K.388 "ナハトムジーク"」を編曲した弦楽五重奏曲を、原曲からさほど時を経ずに作曲されたと考え、当初K.406と番号付け、これを第2番と位置付けたことに起因しています。

 

しかしながら、その後の研究により、この編曲版弦楽五重奏曲が成ったのはK.515, K.516とほぼ同時期であると修正され、現在は「第4番 K.406(516b)」と繰り下げられ、これにともないK.515の方は繰り上がって第2番となったわけです。

 

しかしながら、長年に亘る歴史および慣習を重んじ、K.515を第3番と呼ぶ例も残存しています。

 


もう一つは楽章の順序。

 

中間に位置するアンダンテ(Andante)とアレグレットのメヌエット(Menuetto: Allegretto)は、この順で奏されることもあれば、逆にメヌエット―アンダンテという順が採られることもある点です。

 

こちらに関してはかなり込み入った事情があり、歴史的にさまざま変遷を経、現在も未だに決着がついていませんので、ここではその論拠となる資料と、その解釈の可能性をご紹介するだけに留めておきましょう。

 

まず第一の資料として、1789年にアルタリア社から出された初版の楽譜があり、ここではメヌエット―アンダンテの順で記されています。

 

一方、もう一つのこの上なく重要なものとして、モーツァルトの自筆譜が発見されましたが、こちらにおいては、アンダンテ―メヌエットとなっているのです。

 

それなら後者が作曲家の意図に合致するだろう――と断定して良さそうなものの、そう単純に結論できないのは、その自筆譜に振られた一種のページ番号が、モーツァルト自身によるものと、マクシミリアン・シュタードラー(名クラリネット奏者アントン・シュタードラーとは別人)と考えられている第三者の手になる二種に分かれており、楽章の入れ替えられた可能性が残っているためです。

 

そして、この入れ替えが実際に行われたか否かという問題とともに、仮にこれを「唯」とするにしても、それがモーツァルトの意向に基づくものかどうかという肝心な点は、やはり不明なのです。

 

このような込み入った事情と、それらをどのように捉えるか、様々な解釈があるため、音楽の解説書・紹介書やCD・レコードのライナーノーツなどにも折々混乱が見られ、音源によっては、楽章についての記載と実際の収録トラックが異なっている例もあるので、ご注意ください。

 

 

 

 


これに関し、敢えて個人的な見解を述べれば、本作に続いて書かれた同じ弦楽五重奏曲「ト短調 K.516」の中間楽章がメヌエット―アンダンテであることに加え、一つのまとまった音楽作品として各楽章の情調およびそれらの関係・流れを鑑みても、現在ではやや劣勢の「メヌエット―アンダンテ」の順序に一票を投じたく思います。

 

もっとも、正直なところ、私が初めて聴き、その後長らく親しんだアマデウス弦楽四重奏団+セシル・アロノヴィッツによる演奏がこの順序を採っていたことも、この嗜好に少なからず影響していることは間違いないでしょう。

 


さて、最後になりましたが、本作の顕著な特徴・聴きどころとしては、一般的に晴朗・明澄といった修飾語がしっくりくるハ長調とは思えない、その豊潤さを挙げるべきでしょう。

 

その調性から連想される明るい情景は、第三楽章の終わりまでずっと立ち籠める不安と焦慮の霧に覆われて見られず、それが漸く現出するのは、爽やかな風が霧を吹き払う最終楽章に入ってからで、この点だけをとっても、不思議なハ長調、斬新な名曲と言えると思います。

 

また、適材適所に示される見事な対位法は、ヴィオラが一つ加わり、各声部の処理および相互の平衡確保が格段に複雑かつ困難な状況下でものされたことを考えると、神業という言葉以外、表現が思い浮かびません。

 

仮に、冒頭にご紹介したように本作の作曲動機がフリードリヒ・ヴィルヘルム2世に取り入ろうとの世俗的なものだったにしろ、既に芸術家としての自負・矜持を抑えることができない境に達していたこと、およびレオポルトの死をもはや避けられないものとして直視していたことも、この「弦楽五重奏曲 ハ長調 K.515」の誕生に大きく与っているように思います。

 

 

 

 

グラスハーモニカのための五重奏曲(アダージョとロンド) K.617、同アダージョ ハ長調 K.356(617a)

今回は、知られざる名品、あるいは、知る人ぞ知る傑作というべき二曲をご紹介したいと思います。

 

その作品は、「グラスハーモニカのための五重奏曲(アダージョとロンド) K.617」、および「同アダージョ ハ長調 K.356(617a)」。

 

しかし、本題に入る前に、グラスハーモニカという楽器について少し書くことにしましょう――

 


水の入ったグラスの縁を濡れた指で擦ると妙なる音色の出ることをご存じ、あるいは実際にご経験の方もあるかと思います。

 

そのようなグラスを多数並べて音楽演奏に利用するものをグラス・ハープと呼びますが、同じ発音原理を利用するものの、より演奏しやすいよう、グラスを音階順に並べて底面中央に一本の軸を通し、これを水を張った箱に入れたものがグラスハーモニカで、ペダルを踏んでその軸、延いてはグラスを回転させながら、指をそこに当てることで演奏を行います。

 

因みに、グラスハーモニカを考案したのは、アメリカの政治家、外交官であると同時に避雷針の発明などでも知られるベンジャミン・フランクリンで、彼自身による命名は"harmonica"をフランス語で発音した「アルモニカ」でした。

 

この楽器は、フランクリンが親戚であるデイヴィス家の娘マリアンヌに贈り、彼女が姉セシリアの歌唱の伴奏に使ったことをきっかけに、間もなくヨーロッパ中で大評判になります。

 

しかしながら、そのあまりに神秘的な音色のため、まだ中世の残滓を払拭し切れていなかった当時の社会は、グラスハーモニカの音が人を狂気に陥れたり、悪魔を呼び寄せたりするのではないかと恐れ、さらにあるコンサートにおいて幼い子どもが死亡するという事件が発生したことから、この楽器の使用は法律で禁じられてしまったのでした。

 

 

 

 


さて、この辺りで、グラスハーモニカとモーツァルトとのかかわりに移りましょう。

 

モーツァルトがこの楽器の音色を聴いたのは、いわゆる西方への大旅行でロンドンに滞在した1764-65年が最初で、さらにイタリア旅行でミラノを訪れた1771年にも、ともに上でご紹介したマリアンヌ嬢の演奏によってであると考えられています。

 

さらに1773年には、モーツァルトの後援者であったフランツ・アントン・メスマーの奏でるグラスハーモニカをウィーンで耳にしていますが、この人物は音楽家ではなく、動物磁気説の提唱者にして磁気療法および催眠療法の先駆者と位置付けられる医師で、患者に対する施療の一助として、グラスハーモニカの音色を聞かせていたのです。

 

その患者の一人、目を患ったマリア・テレジア・フォン・パラディスに対し、メスマーはグラスハーモニカが禁止された後もこれを治療に用いた上、彼女の視力の回復にも失敗したことから、ウィーンを追放される羽目となります。

 

そして、このマリア・テレジアは優れた女流ピアニストで、モーツァルトは彼女のために「ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調 K.456」を書いているのです。

 


と、ここまでは単なる間接的エピソード。

 

モーツァルトとグラスハーモニカのより深い、本質的な邂逅は、最晩年の1791年、マリア・アンナ・アントーニア・キルヒゲスナー(Maria Anna Antonia Kirchgasner)によりもたらされました。

 

彼女も幼い時に天然痘で失明するという憂き目に遭いながら、音楽の素養のあった母親からピアノの手ほどきを受け、後にカールスルーエ宮廷の楽長シュミットバウアーの弟子となり、ここで恩師の改良したグラスハーモニカと出会い、卓抜したその演奏により、当時のヨーロッパにおいて最大級の賛辞を博するに至ります。

 

天界のミューズは、そんなマリア・アンナとモーツァルトをしっかりと引き合わせ、1791年、マリア・アンナのコンサートがウィーンで企画された際、彼は彼女のために作品を書くこととなったのです。

 

 

 

 


それが、「グラスハーモニカのための五重奏曲(アダージョとロンド) K.617」で、これに併せ、アンコール用としてもう一つの「アダージョ ハ長調 K.356(617a)」がものされたと考えられています。

 

すべて合わせても20分ほどと、こと規模に関しては決して大きな作品ではないものの、その幽玄かつ深遠な響きに心を揺り動かされない人は、まずいないはずです。

 

これは取りも直さず、モーツァルト自身、さらには演奏を託されたマリア・アンナの、現世に対する清澄な諦念、さらに冥府への憧憬と畏怖ともいうべきものが、聴く者の心に自ずと看取されることが、大きな一因であるように思えてなりません。

 

その意味で、この二曲は、直後に書かれた「モテット ニ長調 K.618 "アヴェ・ヴェルム・コルプス"」「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」とともに、モーツァルト白鳥の歌、辞世の句であると同時に、マリア・アンナの魂の照映とも言えるように思います。

 


マリア・アンナもモーツァルト同様、1808年にわずか39年の短い生涯を閉じたことを記し、本稿を結びます。

 


☆グラスハーモニカのための五重奏曲(アダージョとロンド) K.617

https://www.youtube.com/watch?v=EwswlusoEgo

 

☆グラスハーモニカのためのアダージョ ハ長調 K.356(617a)

https://www.youtube.com/watch?v=QkTUL7DjTow