モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 K.478

意外に思われるかもしれませんが、ピアノ四重奏曲という形式が西洋音楽において占める比重は決して大きなものではありません。

 

白状すると、私は長い間、前回ご紹介したピアノ三重奏曲よりもこちらの方がより標準的で重要なものと思っていました。

 


実際にはその反対で、ピアノ四重奏曲にあまり重きの置かれないのは、元々、ヴァイオリン二本とチェロという、トリオ・ソナタを奏する編成にピアノ(クラヴィーア)を加えたものとして書かれるのがこの楽曲の通例だったため、謂わば余計な付け足しとなることが少なくなく、仮にこの点が克服されたとしても、独奏的性格の強い三重奏と合奏的な五重奏の間に挟まれて中途半端、首鼠両端の嫌いを払拭できなかったためかもしれません。

 

そんなピアノ四重奏曲を、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロという弦楽三重奏の編成にピアノを同列に加味する図式へと改革して近代化を果たしたのが、他ならぬモーツァルトです。

 


モーツァルトがこのジャンルに手を染めた直接の契機は、ウィーンの楽譜出版業者で自らも作曲をものしたホフマイスターからの依頼であると言われています。

 

ホフマイスターは音楽愛好家が家庭や仲間内で演奏する楽曲を毎月定期的に世に供給することを企図し、モーツァルトにも三つのピアノ四重奏曲を注文したのです。

 


それに応じてモーツァルトの先ず提示したのが、自筆譜に1785年10月16日と(完成)日付の記入された「ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 K.478」。

 

この作品、既にハイドン・セットなどの作曲経験を通じて室内楽処方を完全に自家薬籠中のものとしていたモーツァルトらしく、各パートが有機的に作用し合って緊密精緻な音楽的情景を現出する見事な一曲でした。

 

 

 

 


しかしながら、上のホフマイスターの目論見からもわかるように、彼が望んでいたのは演奏が容易で耳当たりの良い音楽であり、それとは大きくかけ離れた、厳しい構成美とト短調の暗い色彩を纏った作品を受け取ったホフマイスターは、「こんな難解な作品は誰も買おうとしないだろう。もっと大衆受けするものでないともう出版はできない。」と嘆いた――と、コンスタンツェの再婚相手で、モーツァルトの伝記を書いたニッセンが伝えています。

 

そしてモーツァルトは、ホフマイスターとの残り二曲の作曲契約を解除し、第二作はイタリアのアルターリア社から日の目を見たものの、第三作が世に出ることはなかったのです。

 


さて、このように依頼主の意向にそぐわない作品をモーツァルトが書いた理由としては、先ず第一に、自らを独立した一個の芸術家と認じる気持ちが根底にあり、これに突き動かされて移ってきたウィーンで大きな成功を収めた自信に生来の天才が鼓舞されたことに加え、自らヴィオラの名手だったモーツァルトが、この楽器の可能性を追求しようとした意欲も、少なからず影響した思われます。

 

実際、このト短調四重奏曲の出来栄えは、一般音楽愛好家向け娯楽作品の水準を遥かに超えており、数年後、ベルリンの雑誌「豪奢と流行」に、「モーツァルト氏のこの作品は、二流の演奏家の手で粗雑に演奏されると到底聴けたものではない。しかし、作品を研究熟知し、優れた技術も有する4人の音楽家により、数人の鋭敏な感性を具えた聴き手の前で演奏された時は何という相違を見せることか。」といった記事が掲載されたそうです。

 


これなどと併せて、ホフマイスターの表明した「難解」との不満を鑑みるに、モーツァルトの同年代のこの友人は、図らずも自らの眼力を示したと言えるかもしれません。

 

もっともそれは、あくまで出版業者としての視点・視野に基づくものではありますけれど。

 


☆ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 K.478
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 ロンド:アレグロモデラート(Rondo: Allegro moderato)

https://www.youtube.com/watch?v=FpK1tjbeeA0