モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

Mozartの出会った人々(4)―ゴットフリート・ファン・スヴィーテン(男爵)

ゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵――と言っても、あまり一般には知られていない名前かもしれません。

 

しかし、ミロス・フォアマン監督の手になる映画「アマデウス」の中の次のシーンを記憶されている方は少なくないのではないでしょうか?

 

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お目通りを許されてその間へ入ると、たどたどしくピアノフォルテで行進曲が奏される向こうに数人の姿がある。

 

モーツァルトがそこへ静々と歩を運び、もっとも高貴かつ威厳があると見える一人に向かって深々とお辞儀をしたところ、その人物は拙いピアニストの方を指し示す。

 

そう、ピアノフォルテを弾いているその人こそ、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世であった……

 

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このシーンでモーツァルトが皇帝と思い込み頭を下げた相手が、ゴットフリート・ファン・スヴィーテン(Gottfried van Swieten、1734-1803)男爵です。


オーストリア帝国の有能な官吏として、外交官、宮廷図書館長や書籍検閲委員長など歴任したスヴィーテン男爵は、また大の音楽愛好家でもありました。

 

1770年から1777年まで駐プロイセン大使としてベルリンに滞在した際、スヴィーテン男爵はヨハン・セバスチャン・バッハ(大バッハ)の次男カール・フィリップ・エマヌエルやその兄のヴィルヘルム・フリーデマンらと知り合い、彼ら、さらには大バッハの音楽に接して深い感銘を受けます。

 

ゴットフリート・ファン・スヴィーテン

 

当時、大バッハの作品は人々にほとんど忘れ去られていましたが、男爵はそれを中心に、ヘンデル、バッハ兄弟の作品をも含めたバロック音楽の積極的な収集を行い、そのコレクションは質・量ともに膨大かつ壮大なものとなりました。

 

そしてウィーンに戻った後、自らの屋敷でそれら集めた作品を鑑賞する集いを開き、1782年には、ザルツブルク大司教と決別してウィーンに居を構えたモーツァルトをそこへ招いたのです。

 

 

 


ここでバロック音楽を本格的に知ったモーツァルトは、大きな驚きを覚えると同時にすっかりこれに魅せられ、俗に「モーツァルトのバロック体験」と呼ばれています。

 

その興奮は父親レオポルトに宛てた手紙にも如実に表れているので、その一つをご紹介しておきましょう。

 

ぼくは毎週日曜日の12時にスヴィーテン男爵のところに行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。ぼくは今、バッハのフーガの収集をしています―ゼバスティアンのだけではなくエマヌエルやフリーデマン・バッハのも。それからヘンデルのも……(1782年4月10日)

 

 

モーツァルトがこのインスピレーションを無駄にするはずはなく、男爵の依頼によるヘンデル作品の編曲や、バッハ、ヘンデルの書法の研究は、間もなく「プレリュードとフーガ ハ長調 K.394」「ピアノ組曲 序奏とフーガ K.399(385i)」「5つのフーガ K.405」「2台のピアノのためのフーガ ハ短調 K.426」などとして結実し、さらに後年の「ピアノ協奏曲 第19番 ヘ長調 K.459 "第2載冠式"」「交響曲第41番 ハ長調 K.550 "ジュピター"」などにもその血脈は受け継がれていったのです。

 


当時、ウィーンで活躍するほとんどすべての音楽家と親交を持っていたといわれる男爵は、モーツァルトがその地の聴衆に見放された後も深い理解を示し続け、1791年に彼が亡くなった際には葬儀を準備し費用も負担したことでも知られています。

 

また、スヴィーテン男爵の設立した音楽愛好貴族協会(Gesellschaft der Associierten Cavaliers)は、現在のウィーン楽友協会の前身です。

 


最後に一曲、上に挙げた中から「プレリュードとフーガ ハ長調 K.394」の動画をご紹介しておきましょう。

 

モーツァルトがバロックの書法を完全に自家薬籠中のものとしていたことは、これを聴いただけでも分かるのではないでしょうか。