クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581 "シュタードラー"
芸術家には、その作品に創造時の心理や感情、さらにはその根底となる私生活の状況や出来事などが強く反映してしまうタイプと、あまり、あるいははほとんどそれの感じられないタイプがあります。
芸術家も人間である以上、どちらかと言えば前者の方が普通と言ってよいかもしれませんが、後者の代表格として知られるのがモーツァルトです。
これはもちろん、モーツァルトの作品には、常に、如何なる場合も私生活の影響が現れないという意味ではなく、「それを反映させずに制作するのは何でもない」のだという点にご注意ください。
前記事において、「ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304(300c)」には母親を失くし、アロイジア・ウェーバーに対しては失恋という二重の痛手を受けた心情が吐露されていると述べたのは、従って上に反するわけではなく、その時は気持ちの反映を抑制する意図がなかっただけなのでしょう。
そして実際、モーツァルトには、自分の生活状態から完全に我が身を切り離して書いた如き作品が数多あり、その有名な一つが、今回ご紹介する「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」です。
ウィーンの聴衆の人気を失って収入が大きく減少していた1789年、仕事を得るべく企てた各地への旅行を初めとして、第5子アンナの誕生とそれにすぐ続いた死、さらには心身に痛手を負った妻コンスタンツェの療養などの費用が嵩み、モーツァルトは深刻な経済的苦境に陥りました。
「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」は、そんな状況下で生まれた作品であるにもかかわらず、その響きは天上的な美しさに満ちており、この世の悩み・苦しみといった要素はどこにも感じられません。
ただ、時折ふと姿を見せる、清澄な諦観とでも言うべき情調に、モーツァルトの心情を窺うことができると言えるかもしれません。
モーツァルトの管楽室内楽曲は、そのほとんどが特定の奏者を念頭に置いて書かれていますが、この作品もその例に漏れず、フリーメーソンの同志にして名高いクラリネット奏者であったアントン・シュタードラー(シュタートラー、Anton Stadler)の存在が作曲の直接の動機となっています。
低音域の演奏を得意としていたシュタードラーは、ロッツという楽器製作者の手になるバス・クラリネット(現在のバセットクラリネット)を愛用しており、モーツァルトは元々、この楽器と弦四部による作品として書き上げました。
現在私たちが耳にするのは、通常のクラリネット用にその後編曲されたもので、シュタードラーに贈られたオリジナルの自筆譜は、遺憾ながら紛失して現在は行方が知れません。
モーツァルト同様、シュタードラーも金銭面で苦労していたことがわかっており、その状況を改善する一助として、富裕な音楽愛好家へ売り渡してしまったのだろうとの説も行われています。
さて、モーツァルトのクラリネット五重奏曲からほぼ百年後の1891年に、この作品に大きな啓示を受けたブラームスが、同じ編成による「クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115」を書き上げました。
ブラームスの五重奏曲は当時非常な人気を博し、現在も高く評価されていますが、これに関してブラームス自身の述べた次の有名な言葉は、音楽史におけるモーツァルトの位置付けを如実に示しているように思います。
「現在では、私たちはもうモーツァルトのように美しくは書けない。 しかし、私たちには、彼が書いたと同じくらい純粋に書くよう努めることはできる。」
その妙なる天上の楽の音をお聴きください。
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 ラルゲット(Larghetto)
第3楽章 メヌエット(Menuetto)
第4楽章 アレグレットの主題と6つの変奏(Allegretto con variazioni)
https://www.youtube.com/watch?v=xTNbclgU3h4