セレナード 第7番 ニ長調 K.250(248b) "ハフナー"
現在、モーツァルトの作品で"ハフナー"という標題を冠して呼ばれるものは2つあります。
一つは「交響曲 第35番 ニ長調 K.385」、そしてもう一つが、今回ご紹介する「セレナード 第7番 ニ長調 K.250(248b)」です。
これらは、作曲時期こそ、それぞれ1782年、1776年と少し開きがありますが、実は互いに繋がりをもった作品とも言えるのです。
その基盤となる共通項は、いずれもザルツブルクの富豪にして、モーツァルト一家と親交のあったハフナー家のために書かれたということ。
そしてもう一つ、セレナードK.250は後に交響曲(K.385とは別のもの)に編曲され、一方の交響曲K.385は逆に、あるセレナードを元にしているということが挙げられます。
この点について少し詳しく述べますと、まず、セレナードK.250は、ハフナー家の若い当主、モーツァルトと同い年のジークムント・ハフナーII世から、その姉マリア・エリーザベトの婚礼前夜の祝宴を彩る音楽として、行進曲ニ長調(K.249)と併せて書かれました。
一方の交響曲K.385、こちらの原曲であるセレナードは、ジークムント2世が貴族に列せられることとなったことを祝う宴のため、やはりモーツァルトによって1782年に作曲され、翌1783年、予定された演奏会での皇帝列席の下、ブルク劇場で行われた演奏会において、交響曲として生まれ変わった姿で披露されたのでした。
モーツァルトの時代のセレナードは、交響的な楽章と協奏的なそれとから構成されていたこともあり、上のような編曲は比較的容易ではありました。
しかし当然、これは無暗に行われるべきことではなく、必要に迫られての苦肉の策であり、また、大元の作品の質の高さが大前提となることはもちろんです。
この観点から見た場合、「セレナード 第7番 ニ長調 K.250」については、独りモーツァルト自身が交響曲として新たな生命を与えているにとどまらず、独奏ヴァイオリンが軽快にして繊細優美な旋律を奏でる第4楽章から、後にクライスラーがヴァイオリンのための楽曲に編曲しているという事実があり、これを鑑みれば、その芸術的価値は明らかでしょう。
実際、モーツァルトはこの作品に、セレナードとして最大級の規模を持たせると同時に、質の面でもまた、交響的偉大さと協奏的華やかさとを見事に融合・統一しており、ここで管弦楽書法に対する自信を盤石に確立したかの如く、以後、交響曲・協奏曲両ジャンルにおいても次々と俊峰をものしていったのです。
なお、このような素晴らしい音楽にも祝福された幸福な花嫁、マリア・エリーザベトは、そのわずか5年後、1781年に28歳の若さで亡くなり、ジークムントII世もまた、31歳で早世しました。
そしてご存じの通り、モーツァルトの行年は35。
人生の儚さと言うべきでしょうか。
☆セレナード 第7番 ニ長調 K.250(248b) "ハフナー"
第1楽章 アレグロ・マエストーソ(Allegro maestoso)―アレグロ・モルト(Allegro molto)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 メヌエット(Menuetto)
第4楽章 ロンド:アレグロ(Rondo: Allegro)
第5楽章 メヌエット・ガランテ(Menuetto galante)
第6楽章 アンダンテ(Andante)
第7楽章 メヌエット(Menuetto)
第8楽章 アダージョ(Adagio)―アレグロ・アッサイ(Allegro assai)
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