先に以下の記事に書いたように、モーツァルトはセレナードの近縁ジャンルと言えるディヴェルティメント(喜遊曲)を17曲以上残しています。
そして、ディヴェルティメントは、セレナードと同じく、祝宴や祭典といった晴れやかな催しのための所謂「機会音楽」で、セレナードよりもカジュアルな機会が念頭に置かれ、小規模な楽器編成により、主に室内での演奏が想定されるのが通例であり、一層愉悦的な性格を帯びる傾向が見られるということも述べました。
そんなディヴェルティメントの中で、モーツァルトの最後に手掛けた作品が、今回ご紹介する「変ホ長調 K.563」です。
この曲は、「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント」、あるいは「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのためのディヴェルティメント」などと呼ばれる通り、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという3つの弦楽器のみで奏されるもので、このジャンルにおいては極めて異例の編成を採っています。
作曲時期については、1784年にモーツァルトが記し始めた「自作品目録」への記載から、1788年9月27日にウィーンで成ったことが明らかな一方、その動機は定かでありません。
しかし、モーツァルトの活動を知るための大きな資料である手紙からは、フリーメイスンの同志で、経済的に度々援助を受けていたウィーンの富豪プフベルクにまつわる何らかの機会のために書かれたと推定されています。
この曲の書かれた1788年は、モーツァルトの創作意欲が特に大きく燃え上がった年で、6月からわずか3ヵ月ほどの間に、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ、弦楽三重奏曲、2つのピアノ三重奏曲、3つの交響曲を一気呵成の感でものしており、ここでいう交響曲は、「K.550 ジュピター」を含む「三大交響曲」であり、弦楽三重奏曲が「ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563」に当たります。
しかも、驚くべきことに、外部からの依頼、演奏会での披露といった明確な目的があって作曲されたと考えられるのはK.563だけで、他の作品についてはそれが認められないのです。
上記作品のいずれもが、壮大な規模と極めて充実した内容を具えている事実を考え合わせれば、その驚嘆は一層顕著になるはずです。
「ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563」について言えば、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという編成による弦楽三重奏曲は、単にモーツァルト自身が初めて取り組んだというにとどまらず、長い西洋音楽の歴史を通じても嚆矢というべきものですが、それにもかかわらず各楽器の独立性・対等性・親和性・協調性などを、絶妙なバランスで並立包含した、「喜遊曲」と呼ぶのが躊躇われる見事な芸術作品に仕上げられています。
もっとも、このような、物事の開始・新たな世界の幕開けを告げるべく初めに放った矢が、いきなり俊峰の頂きへと到達してしまう例は、この空前絶後の天才作曲家にとっては決して珍しいことではありません。
こうして音楽史にまた新たに絢爛かつ奥妙な足跡を記したモーツァルトですが、間もなく彼はウィーンの聴衆の人気を失い、経済的にも肉体的にも、死へと繋がる困窮に陥っていったのです。
自らの薄命を予見し、天与の才を広く世に知らしむべく至高の作品群を書こうとの意志・努力、そして成果が、破滅の促進剤となってしまったかの如きに思われ、暗澹たる気持ちを禁じ得ないのは、私だけでしょうか。
☆弦楽三重奏のためのディヴェルティメント 変ホ長調 K.563
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 アダージョ(Adagio)
第3楽章 メヌエット:アレグレット―トリオ(Menuetto: Allegretto - Trio)
第4楽章 アンダンテ(Andante)
第5楽章 メヌエット:アレグレット―トリオI―トリオII(Menuetto: Allegretto - Trio I - Trio II)
第6楽章 アレグロ(Allegro)
https://www.youtube.com/watch?v=E8c83bpOVXo