ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調 K.287(271H) "第2ロドロン・セレナード"
モーツァルトの生きた時代には、まだ音楽家に仕立て職人的な性格が少なからず求められていました。
そしてこの要求に応える形で、セレナード・ディヴェルティメント・カッサシオンといったいわゆる機会音楽、すなわち式典や祝祭・祝宴を彩るための作品を、モーツァルトも残しています。
ここに挙げた三つの楽曲名称に厳密な定義・区別はないようで(少なくともモーツァルトの時代には)、今回ご紹介する「ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調 K.287(271H)」にしても、「第2ロドロン・セレナード」と呼ばれることもあり、モーツァルト自身は「カッサシオン」と称しています。
同作品の成立契機は、上に挙げた二番目の名称に示されており、ザルツブルクの貴族にして大臣を務めたエルンスト・フォン・ロドロン伯爵の夫人マリア・アントニアの霊名の祝日を彩るため、彼女自身がモーツァルトに作曲を依頼したと考えられており、これから延いて、その時期は1777年6月13日の少し前と推定されています。
なお、ここで「第2」と付されているのは、前年にも同種の作品「ディヴェルティメント 第10番 ヘ長調 K.247」が書かれているためです。
これら二つのディヴェルティメントは、いずれもその目的を果たすに遺憾なき特性を具えており、この事実にモーツァルトの力量を見ることができますが、個人的に、両者の情趣・風情には仄かな相違があるように思います。
敢えてそれを端的に表現するなら、素朴と洗練。
私はこれら二曲に接すると、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールのダンス三部作「ブージヴァルのダンス」「田舎のダンス」、そして「都会のダンス」が自然と連想されます。
すなわち、第1セレナードが前の二つに、第2の方が最後の作品にオーバーラップするのです。
実は、第2セレナードに続いて、翌1778年にも同種の曲を書くこととなっていたらしいのですが、この予定はモーツァルトが旅行先のパリに滞在していたため果たされませんでした。
もしこれが実現していたら、第2セレナードとの間に、あたかも「ブージヴァルの」と「田舎の」に対応する風趣の差が見られたのではないか――との空想も自ずと生じます。
もちろん、時代的順序からすればこれはまったくの主客転倒――も何も、そもそもルノワールがこれらモーツァルトの曲を意識して上の各作品を描いたなどという逸話もないはずなので、何ら根拠のない単なる個人的妄想ですが、そんなことをふと思い付いてあれこれ考えるのも、また愉しいものです。
さて、第2ロドロン・セレナードの目的からして、そこには聖と俗、それぞれの要素を配合することが必要で、これを満たす一助として、第2および6楽章の主題はドイツの民謡からとられています。
第6楽章ではそれを、親しみやすさを保ちながら様々な表情を見せる優美な変奏曲に仕立て、フィナーレにおいては、暗く澄んだ序奏を付すことで軽妙な主題を一層引き立てると同時に、それが徒に浮揚散逸してしまうのを防いで見事な終局へ至らしめています。
この、聖俗両要素の比率の妙に加え、それらを適宜変容させながら結びつけ織り合わせる楽才により、同曲の「洗練」が具現していると言うべきでしょう。
もう一つの特徴として挙げておきたいのは、全曲を通じて第1ヴァイオリンが支配的役割を果たしている点。
この曲の書かれた約三ヵ月後、ミュンヘンにおいて、モーツァルト自らそのパートを演奏して大喝采を博したことを、誇らし気にレオポルトに手紙で報告していますが、さもありなんと思います。
それにしても、第2セレナード冒頭の二音だけで「モーツァルトの作品」と認識できるのは、不可思議至極です。
☆ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調 K.287(271H)
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 アンダンテ・グラツィオーソ(Andante grazioso)
第3楽章 メヌエット(Menuetto)
第4楽章 アダージョ(Adagio)
第5楽章 メヌエット(Menuetto)
第6楽章 アンダンテ―アレグロ(Andante - Allegro)
https://www.youtube.com/watch?v=oxkPOONtB2w