モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498 "ケーゲルシュタット"

モーツァルトの「おすすめの名曲」としてこれまでご紹介してきたのは、主にいわゆる有名どころなので、今回はやや知名度は低いもののぜひ聴いておきたい、「知られざる名曲」的な作品を取り上げたいと思います。

 

それは、"ケーゲルシュタット"あるいは"ケーゲルシュタット・トリオ"と呼ばれる、「ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498」です。

 


ケーゲルシュタット(Kegelstatt)とは、ドイツ語のKegel(九柱戯)とStatt(場所)からなる複合名詞で、「九柱戯場」を意味します。

 

そして九柱戯はその字の示す通り、九本の柱をボールを転がして倒す、ボーリングの元祖と言われる遊びのこと。

 

これを見れば、K.498にこの標題が付けられた由来も想像されるかもしれませんが、モーツァルトが九柱戯場で遊びながら書き上げた――との逸話に基づいているのです。

 

もっとも、九柱戯のエピソードが明らかなのは、「12の二重奏曲 ハ長調 K.487(496a)」という作品で、その自筆譜に、「ヴォルフガング・アマデー・モーツァルト作曲。1786年7月27日、ウィーンにて、九柱戯をしながら」と明記されていることから、まずこちらが「ケーゲルデュエット(Kegelduette)」と呼ばれるところとなり、それと混同される形で、ほぼ同時期に作曲されたK.498にも「ケーゲルシュタット」が冠されたのではないか――と考えられています。

 

 

 


K.498に関しては、標題の由来と同じく、作曲の動機についても直接間接いずれの言明もありませんが、友人ゴットフリート・ジャカンの妹で、モーツァルトのピアノの生徒でもあったフランチェスカのため、あるいは「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」でご紹介した名クラリネット奏者アントン・シュタードラーのために書いたというのが通説のようです。

 

モーツァルトは頻繁にジャカンの邸を訪れ、フランチェスカ、そして共通の友人だったシュタードラーも交えて談笑や遊戯、そして音楽を愉しんでいたことが知られており、それに興を添えるものとして――そしてもしかすると、九柱戯をしながら――K.498を書いたのかもしれません。

 

この類推を裏打ちするのが、楽器編成。

 

フランチェスカがピアノを弾き、シュタードラーがクラリネットを奏で、そしてヴィオラはモーツァルト自身が担当したのであろうと、ごく自然に考えられるからです。

 

実際、全曲を満たす和やかで温かな旋律・和音は、親密な友情を髣髴とさせますし、ふと現れる緊張もまた、どんな親しい仲にも見られる一時的な諍いとして、その結びつきの印象を一層強めると同時に、単に甘ったるいだけでない、優れた芸術作品としての格調品位をそこに付与していると言えましょう。

 


本曲にじっくりと耳を傾けるのは勿論、先にモーツァルトの最高傑作としてご紹介した「ピアノと管楽のための五重奏曲 K.452」とは、作曲時期の近接、および使用楽器の共通もあるので、両者の関連性を想いながら聴くのもまた一興。

 

新たな気付き・発見があるかもしれません。

 

☆ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498
第1楽章 アンダンテ(Andante)
第2楽章 メヌエット(Menuetto)
第3楽章 アレグレット(Allegretto)

https://www.youtube.com/watch?v=g_cfok4QxdU

 

 

弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387 "春" (ハイドン・セット第1番)

先に「モーツァルトの弦楽四重奏曲」でご紹介した通り、ヴォルフガングは1770年、14歳の時に、最初のイタリア旅行の道中、ローディという土地で、このジャンルにおける第1作「ト長調 K.80(73f)」を作曲しました。

 

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さらに、1772年に行った第3回イタリア旅行の際、ボルツァーノまたはヴェローナで、現在「ミラノ四重奏曲」と呼ばれる第2番から第7番までの6曲の連作を物しますが、同行していた父レオポルトはその契機を、「…ヴォルフガンクはあんまり退屈なので弦楽四重奏曲を書いています…」とザルツブルクの家族へ書き送っていることも述べました。

 

 

 


一方この年、ヨーゼフ・ハイドンは、「太陽四重奏曲、独:Sonnenquartette」として知られる、やはり6曲からなる弦楽四重奏曲集「作品20」を世に送り出しました。

 

この、オーストリアの偉大な先輩にして古典派を代表する作曲家の作品は、両モーツァルト、特にレオポルトに大きな衝撃を与えたようで、翌1773年、ウィーンへの旅行へ出掛けるに際し、ヴォルフガングに、作曲家としての力量を培うべく、このジャンルの作品を書くよう命じ、その結果として、第8番(K.168)から第13番(K.173)までの「ウィーン四重奏曲」が生まれたのです。

 

その後10年近く、ハイドンはこのジャンルとは距離を置きましたが、まるでそれと歩調を合わせるたかのように、モーツァルトもまた弦楽四重奏曲に手を染めることはありませんでした。

 

しかし1781年、ハイドンは満を持したかの如く、このジャンルの様式を完成させたといわれる「ロシア四重奏曲集(作品33)」を作曲して、翌年出版。

 

すると再び、モーツァルトはこれに深い感銘と大きな啓発を受け、1782年の暮れから翌々年まで、足掛け3年の長きに亘って刻苦勉励を重ねた末、全音楽史を通じても最高の弦楽四重奏曲群を書き上げました。

 

すなわち、ト長調 K.387、ニ短調 K.421(417b)、変ホ長調 K.428(421b)、変ロ長調 K.458、イ長調 K.464、ハ長調 K.465からなる「ハイドン・セット」です。

 


モーツァルトの天才については、様々な逸話が虚実取り混ぜて語られていますが、その一つに、作曲はすべて頭の中で完成し、あとはそれを楽譜に記すだけだった――というものがあります。

 

これは真とも偽とも言うことができ、確かにそのようにして書かれた作品も少なくないでしょうけれど、短い生涯の最後の10年、ウィーンに居を構えてからは、自筆譜に少なからぬ推敲の跡が見られるのも、また事実です。

 

ハイドン・セットもその例外ではなく、特に第1から3番までにはそれが顕著で、偉大な先輩の作品を研究し、その真髄を抽出し、さらに独自の高みへと昇華させる努力が如実に看取できます。

 

 

 


さて、ハイドン・セットの第1番、「弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387」は、1972年の12月31日、大晦日に産声を上げました。

 

その冒頭、揺るぎない自信に裏打ちされた決然たる旋律は、このジャンルの新たな幕開け――春の到来を高らかに告げる弦楽ファンファーレを想起させ、これが標題の由縁となっているのです。

 

そして第1楽章の後には、翳りを含んだメヌエットが置かれ、さらに静謐な緩徐楽章が続いて、最後はジュピター音型を採る、フーガとソナタを統一したフィナーレで締めくくられます。

 

各楽章、全て斬新でありながら至高の完成度を示し、全体としての有機的統一感も実に見事。

 

音楽史を画する作品だけに、数多の名演が聴かれるのも当然と言えましょう。

 

ここではその一つ、私が初めてこの曲を聴き、そして魅了されることとなった、アルバン・ベルク四重奏団の演奏をご紹介して本稿を終えたいと思います。

 


弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387 "春" (ハイドン・セット第1番)
第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ(Allegro vivace assai)
第2楽章 メヌエット:アレグレット(Menuetto: Allegretto)
第3楽章 アンダンテ・カンタービレ(Andante cantabile)
第4楽章 モルト・アレグロ(Molto allegro)