モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421(417b) (ハイドン・セット第2番)

よく知られているように、モーツァルトの作品においては、長調を採ったものがその大部分を占めています。

 

しかしながら、舞曲のような完全な娯楽音楽を除き、各ジャンルの中にわずかながら置かれた短調作品が、それ自体として印象的な光彩を放つと同時に、周囲の楽曲との対照、あるいは共鳴により、当の領域全体を引き締め、より多彩ならしめていることを、全体を俯瞰すべく集中的に聴くことで看取されるように思います。


これは、モーツァルトの全作品中で重要な位置を占める弦楽四重奏曲についても例外ではなく、「第13番 K.173」および「第15番 K.421」という、いずれもニ短調の作品がその役割を果たしており、その内の後者が、今回の主題となります。

 


先に「弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387 "春"」でご紹介したように、ヨーゼフ・ハイドンが1782年に出版した「ロシア四重奏曲集(作品33)」に深い感銘と大きな啓発を受けたモーツァルトは、その年の暮れから翌々年まで、足掛け3年の長きに亘って刻苦勉励を重ねた末、全音楽史を通じても最高の弦楽四重奏曲群を書き上げました。

 

これがすなわち、現在「ハイドン・セット」と総称されている6つの弦楽四重奏曲で、その第二作に当たるのが「ニ短調 K.421(417b)」です。

 

 

 

 


すなわち、本作の作曲動機ははっきりしており、その時期についても、後に妻のコンスタンツェが、長男ライムント・レオポルトの出産と時を同じくして書かれたと語っていることから、1783年の6月中頃と考えられています。

 

ただ、このエピソードが真実であるとすれば、その曲調は喜びに満ちたものとなりそうなものの、実際は本作の調性から推して知られる通りと、奇妙な不一致を示しているのです。

 

しかも、同じニ短調をとる、後の「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」やオペラ「ドン・ジョバンニ K.527」、さらには絶筆となった最後の作品「レクイエム K.626」などが、暗いながらも熱い焔を燃え盛らせているのに対し、本作はどこまでも冷たく鋭い、あたかも氷から発するかの如き青い炎、ちろちろと揺らめく鬼火の類を連想させる点も異質と言え、個人的には、モーツァルトにしては極めて珍しいホ短調を纏った、「ヴァイオリン・ソナタ 第21番 K.304(300C)」に通ずる情調を感じます。

 

さらに、本作の変奏曲形式のフィナーレに聴けるシチリアーノ風の主題は、上に挙げたハイドンの「作品33」中の第五番にも見られるものの、両者の性格がまったく異なる点にも注目すべきでしょう。

 

その一方、折に触れて現れる、清澄なる諦観とでもいうべき旋律は、この天才作曲家の上記諸作品と共通していることも、また確かです。

 


モーツァルトほど、実生活の状況と、その時に書かれた作品の情趣の乖離が大きな作曲家は他に例を見ませんが、上のエピソードもこれを裏打ちする一つと言えば言えるかもしれません。

 

ただ、次の事実を考慮に入れると、そのような割り切り型の片付けで済ましてしまうことに、誰でも躊躇を感じずにはいられなくなるような気がします。

 

ライムント・レオポルトは、この世にわずか二ヶ月生を送っただけで、8月19日にその命を終えたのです。

 


さて、モーツァルトが心血を注いで書き上げたハイドン・セットは、楽譜出版の際に敬愛に満ちた献辞を送られたハイドンからは極めて高い評価を受けたものの、楽譜の売れ行きは捗捗しいものではなく、特にK.421については、同じ作曲家の一人であるジュゼッペ・サルティに酷く扱き下ろされており、当時の人々にはその真価は理解されなかったようです。

 

しかし、ニ短調ピアノ協奏曲などと同様、ロマン派の勃興とともに再び脚光を浴び、以後現在まで脈々と演奏され、聴かれ続けていること、そしてこの事実をもって本作の芸術的価値を判断すべきことは、改めて言うまでもないでしょう。

 


弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421(417b) (ハイドン・セット第2番)
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 メヌエット:アレグレット(Menuetto: Allegretto)
第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ(Allegretto ma non troppo)

https://www.youtube.com/watch?v=KM0EnzN63Rc

 

 

 

 

ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466

これまでにも何度か書いたように、1784年、モーツァルトは自身の作品を目録に記録し始めるとともに、自らの企画・主催による予約演奏会を開始しました。

 

これら一見ごく些細な出来事は、しかしモーツァルトの生涯、延いては音楽の歴史において一つの画期をなす、決して見過ごしてはならないものと言うこともできるように思います。

 

なぜなら、一人の人間が音楽家としての意識に目覚め、矜持と権利の表明を行った最初の一例とも見做せるからです。

 


この年、モーツァルトは実に6つものピアノ協奏曲に加え、自ら「これまでに書いた中での最高傑作」と述べている「ピアノと管楽器のための五重奏曲 K.452 変ホ長調」を作曲し、予約演奏会の方も、年末には174名もが会員に名を連ねる盛況となりました。

 

そして、非常に充実したこの年は、12月11日に完成された「ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調 K.459 "第2載冠式"」によって締めくくられたのです。

 


さて、上の作品をご紹介する記事の中で、私は次のように述べました。

 

――この曲に顕著に見られる対位法的書法には、先に記事としてご紹介したゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵との出会い、それを通じて知ったバロック音楽からの大きな影響が看取されます。

 

これは一見、時代的後退とも見えますけれど、ここで今一度自らの音楽的地歩を再確認し、それを一層堅固なものとしたことで、モーツァルトは次のピアノ協奏曲により、一気にロマン派の領域へ飛翔し得たと、私には思えるのです――

 

 

そこに挙げた「次のピアノ協奏曲」が、このジャンルにおけるモーツァルト初の短調作品「第20番 ニ短調 K.466」です。

 

このニ短調協奏曲は、1785年2月10日に完成されたことが自作品目録に明記されている上、自筆譜も残っている、正真正銘の真作ですが、仮に前提知識なしにこれを聴いたとしたら、作曲者を正しく言い当てることのできる人はまずないでしょう。

 

不穏なシンコペーションとともに提示される、人間の根源的情念を表現しているかのような、沈んだ深紅の静脈血を思わせる主題旋律は、それまでのモーツァルト作品には見られない極めて特異なもので、ロマン派の誕生を予告する、暗く、厳粛なファンファーレを思わせます。

 

そして曲の進行につれ、急と緩、動と静、激と穏、暗と明、重と軽など、互いに相反対立するさまざまな曲調・情感が目まぐるし交替し、実に多彩な表情が現出されます。

 

そのような多様性に満ちていながら、全体として発散してしまうことなく、音楽作品としての纏まり・統一感がしっかりと保たれているところは、見事というほかありません。

 

 

 

 


本作については作曲動機も予約演奏会のためとはっきりしており、何と完成の翌日に、ウィーンの公会堂的施設メールグルーベにおいて、モーツァルト自らによる指揮・独奏で初演されました。

 

この演奏会には父親のレオポルトも列席し、追ってナンネル宛ての手紙の中に、「ヴォルフガングの見事なピアノ協奏曲が披露された」と感想を記しています。

 

一般の聴衆受けも良く、五日後に再演もされていますが、個人的に、私はこの成功は、目新しさに喚起された人々の、一種の驚愕による表面的なものだったように思います。

 

実際、その後モーツァルトの人気は次第に衰え、最後にはほとんど顧みられることさえなくなって貧窮の裡にこの世を去ったことはご存じの通りです。

 

そして死後も、モーツァルトの作品の多くは長く忘却の淵に沈んでしまったわけですが、そんな中、このニ短調協奏曲は命脈を保ち続け、これに深い感銘を受け、愛着を抱いたベートヴェンやブラームスが自ら演奏するためのカデンツァを残しているほか、ザルツブルクのミヒャエル広場(現モーツァルト広場)にモーツァルトの記念像が建てられた際には、除幕式において彼の実子フランツ・クサーヴァーがこれを演奏しています。

 

これらの事実の示すのは、モーツァルトニ短調協奏曲は、作曲者の生きた時代にはやはりまだ受け入れられる素地が整っておらず、深い音楽的素養を具えたごく一部の人にしか、その価値が認識されなかった――ということではないでしょうか。

 

そして時代が作品に追いついたことで、改めて社会に注目されることとなったのだと思います。

 


☆ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 ロマンツェ(Romanze)
第3楽章 アレグロ・アッサイ(Allegro assai)

https://www.youtube.com/watch?v=eF74h_WhLiI&t=50s