モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

レクイエム K.626

モーツァルトの宗教音楽が質・量ともに充実していること、しかし惜しいことにそれらの演奏される機会は現在ではそれほど多くないことを前記事で述べました。

 

そして、その唯一の例外として、「レクイエム ニ短調 K.626」を挙げることができ、この曲については別稿でご紹介すると書きました。

 

その予告を今回果たそうと思います。

 


「レクイエム」は、日本語では「死者のためのミサ曲」「鎮魂曲」と訳されるように、死者を弔うためのミサ曲です。

 

モーツァルトのレクイエムは、彼が死に瀕しながら手掛けた最後の作品(未完)ということに加え、その作曲の契機のドラマ性により広く知られており、コンサートなどでも比較的よく取り上げらる曲といえます。

 

まずは、その有名な作曲の契機から始めましょう――

 


1991年の夏のある日、マスクで顔を隠し、灰色のマントに身を包んだ異様な風采の男がモーツァルトを訪ねて来た。

 

その男は、モーツァルトにレクイエムの作曲を依頼しましたが、依頼主の名前や身分などは故あって明かすことはできないと言う。

 

そして少なからぬ額の代金を置いて立ち去った。

 

モーツァルトは、この男は死神であり、依頼されたレクイエムはほかならぬ自分自身を弔うためのものと信じ込み、作曲を開始。

 

「自分自身のレクイエムを作曲する」ということは、とりもなおさず自分の死期が近いことを意味するわけで、上のような妄執が健康に良い訳はなく、モーツァルトは心身ともに次第に衰弱していき、11月20日には病床に伏す。

 

それでも、異様な執念をもってレクイエムに取り組み続けたのである。

 

しかし、モーツァルトの運命はその完成をみることを許さず、第8曲「ラクリモサ(Lacrimosa=涙の日)」の8小節目でとうとう力尽き、永遠の眠りに就いた。

 

時に1791年12月5日、午前0時55分。――

 

 

 


と、こういうストーリーですが、今では「死神」の正体をはじめ、舞台裏はすべて明らかになっています。

 

まず、モーツァルトにレクイエムの作曲を依頼したのはフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵という貴族で、依頼したレクイエムは彼の亡くなった妻のためのものでした。

 

このヴァルゼックという伯爵、なかなかの曲者で、プロの作曲家に依頼して書かせた曲を「自作」と称し、自分の指揮で披露するという趣味をお持ちだったのです。

 

モーツァルトに依頼したレクイエムもこの例に漏れず、やはり後日シュヴァルゼック先生おん自らの指揮のもと、聴衆に披露されたということです。

 

しかも、さらに下ってブライトコップフ・ウント・ヘルテル社からモーツァルト全集が出版された際には、そこに収録されたレクイエムをみて「これは私の作品だ!」と叫んだというのですから、いやはやたいした強者です。

 

 

 


ところで、現在「モーツァルトのレクイエム」と呼ばれている作品には、いくつかの版(バージョン)があります。

 

これは、未完に終わったこの曲を「完成」させるために、どのような手が加えられたかによる区別で、その主なものを挙げると次のようになります。

 

・ジュスマイヤー版:モーツァルトの弟子、フランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤーの補筆により完成された版で、もっともよく知られた「レクイエム」です。

 

・バイヤー版:ジュスマイヤーによる補筆の和声学的な欠陥を正すことを主な目的として、1971年、バイヤーにより改訂された版。

 

・モンダー版:「真正の」モーツァルトのレクイエムを目指して、モンダーがジュスマイヤーの補筆部分を可及的に取り除く改定をおこなった版です。

 

・ランドン版:ジュスマイヤーよりも才能があったとされるアイブラーの補筆を生かすことを意図して、ランドンによって改訂された版です。

 

・ドゥルース版:「モーツァルトと同時代の、モーツァルトに近い感性を持った作曲家になりきって曲をつくる」、というコンセプトに基づき、イギリスの作曲家・ヴァイオリニストであるドゥルーズが1984年に発表した版。

 

・レヴィン版:前回のモーツァルトイヤー、1991年の記念演奏会のため、ピアニスト・作曲家のロバート・D・レヴィンが、ジュスマイヤー版の楽器法・楽典上の間違いや構成上の問題点に対する改定をおこなったもの。

 


また、全曲の構成も次に挙げておきましょう。

 

第1曲 レクイエム・エテルナム(永遠なる安息)
第2曲 キリエ(憐れみの賛歌)
第3曲 ディエス・イレ(怒りの日)
第4曲 トゥーバ・ミルム(妙なるラッパの響き)
第5曲 レックス・トレメンデ(御霊威の大王)
第6曲 レコルダーレ(慈悲深きイエス)
第7曲 コンフターティス(呪われし者)
第8曲 ラクリモーサ(涙の日)
第9曲 ドミネ・イエス(主なるイエス)
第10曲 オスティアス(賛美の生け贄)
第11曲 サンクトゥス(聖なるかな)
第12曲 ベネディクトゥス(祝福されし者)
第13曲 アニュス・デイ(神の小羊)
第14曲 ルックス・エテルナ(永遠の光)

 


ところで、モーツァルトのレクイエムについては、指揮者や演奏家によって「これって同じ曲?」というくらい印象が異なることがあります。

 

ご紹介した動画はジュスマイヤー版のパフォーマンスですが、他の版や、別の指揮者・オーケストラによる演奏も是非聴いてみてください。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Ejq4oYQanTQ

 

 

宗教音楽

モーツァルトは、25歳でウィーンへ移住するまで、ザルツブルクの宮廷音楽家として活動しました。

 

先に「Mozartゆかりの都市(1)―ザルツブルク」でもご紹介したように、ザルツブルクは現在のヴァチカン市国と同じ教会国家であり、領主はカトリック教会の大司教でした。

 

mozart-cafe.hatenablog.com

 

したがって、ザルツブルクの宮廷音楽家ということは、とりもなおさず教会に帰属する音楽家ということになります。

 

このようなキャリア上、モーツァルトが少年時代から多くの宗教音楽を残していることも不思議ではありません。

 

実際、モーツァルトの宗教作品は50曲あまりに上り、ピアノ協奏曲や交響曲などよりも多いのです。


その、モーツァルトの宗教音楽の中で中心となるのは、19作品を数えるミサ曲、すなわちカトリック教会で行われるミサ(感謝の祭儀)のための作品といってよいでしょう。

 

モーツァルトのミサ曲は、大きく「ミサ・ソレムニス(Missa Solemnis)」と「ミサ・ブレヴィス(Missa Brevis)」に分けられており、未完の一つを除きすべてが以下の6つの楽曲から構成されています。

 

第1曲 キリエ(Kyrie、あわれみの讃歌)
第2曲 グロリア(Gloria、栄光の讃歌)
第3曲 クレド(Credo、信仰宣言)
第4曲 サンクトゥス(Sanctus、感謝の讃歌)
第5曲 ベネディクトゥス(Benedictus、ほむべきかな)
第6曲 アニュス・デイ(Agnus Dei、平和の賛歌)

 

なお、「ミサ・ソレムニス」と「ミサ・ブレヴィス」については、前者が「盛儀ミサ」、後者は「略式ミサ」「小ミサ」と訳されていることから、それぞれの性格は想像頂けると思います。

 

モーツァルトのミサ曲はその多くが「ブレヴィス」ですが、これは、モーツァルトが16歳の時、新たにザルツブルクの大司教となったヒエローニュムス・コロレード伯の「ミサ曲は簡潔に」との要求に起因するところが小さくないかもしれません。

 

その中に一曲、「ミサ・ロンガ(Missa Longa)=長いミサ」とレオポルトの手で書き込まれた「ハ長調 K.262(246a)」があり、これは内容的にはミサ・ブレヴィスでありながら、かなり大きな規模を持った異例の作品として知られています。

 

また、「孤児院ミサ」「雀のミサ」「オルガン・ソロ・ミサ」といった標題は、例によって作曲の契機や作品の特徴などに基づき、後人によって付されたものであることを注記しておきます。

 

 

 

 


続いて挙げるべきは教会ソナタでしょうか。

 

これはミサにおけるグロリアとクレドの間にオルガンと共に演奏される小器楽曲を指し、モーツァルトは断片的な作品を除きこれを17曲書いています。

 


その他、聖務日課の終課で歌われる聖母マリアのための聖歌「レジーナ・チェリ(Regina Coeli)=天の女王」や、「リタニア(Litaniae)=連祷(れんとう)」、「ヴェスペレ(Vesperae)=晩課」、「ディクシット(Dixit)とマニフィカト(Magnificat)、「モテット(Motetus)」なども、モーツァルトは残しています。

 


そしてもちろんもう一つ、忘れてならない作品が、あの「レクイエム ニ短調 K.626」。

 

これがモーツァルトの宗教音楽の総集成としてく、燦然と輝いているのです。


このようにバラエティに富んだ宗教音楽を数多残しただけではなく、その内容からいっても、モーツァルトの作品は非常に充実しているのですが、惜しいことに現在では演奏される機会はそれほど多くありません。

 

唯一の例外は、最後に挙げたレクイエムでしょうけれど、これについては作曲にまつわるドラマティックなエピソードもありますので、後日改めてご紹介したいと思います。

 


では今回、何をお聴き頂こうかと考えた末、比較的知られており、かつ個人的に思い出の深い「モテット "エクスルターテ・ユビラーテ(Exsultate, Jubilate)=踊れ、喜べ、幸いなる魂よ" K.165(158a)」を選びました。

 

もうだいぶ前のことになりますが、パリに遊んだ際、トリニテ教会で執り行われるクリスマス・ミサ、といっても本番ではなく、そのリハーサルで静かにこれを聴いたことが、今でも時折、ふと思い起こされるのです。