モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

弦楽四重奏曲 第18番 イ長調 K.464 (ハイドン・セット第5番)

弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458 "狩"」により、謂わばこのジャンルの新たな可能性と自らのアイデンティティとの両立を成し遂げ、明るい陽光の下、色彩に満ちた世界を提示したモーツァルトですが、その二ヶ月後の1785年1月10日の日付とともに自作品目録に完成を記された「同 第18番 イ長調 K.464 (ハイドン・セット第5番)」で、再び淡然たる色調へと回帰します。

 

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ただ、同セットの前半三曲に感じられる冷厳さは影を潜め、代わりにあたかも俗世の柵を超脱したかの如き静謐さに満ちています。

 


このイ長調四重奏曲を聴いて先ず気付くのは、厳密に数えるまでもなく、作品を構成する音の総数が少ないことに加え、それらの跳躍の幅の総量もごく控えめであるという点ではないでしょうか。

 

それだけに華々しいフレーズや聴く者の感性を激しく刺激するリズムに遭遇することはなく、延いては地味な印象を喚起するためでしょう、一般的知名度・人気という点では他の同種作品に引けを取る傾向があるように思います。

 


しかしながら、同作の到達した高みと深みを一旦感取した暁には、単に弦楽四重奏曲の領域に留まらず、広く音楽上の奇蹟を眼前に観る(耳前に聴く)驚嘆を誰もが禁じ得ないところで、このことは、作曲家をはじめ、演奏家音楽学者・評論家の同曲に対する評価が極めて高いという事実を鑑みれば、首肯されるに違いありません。

 

 

この作品において、モーツァルトは新たな音楽的遠近法の案出を試み、見事なまでに成功させた感が強く、これを、浮世絵をはじめとする日本画に触発され、消失点を設定することにより二次元平面に立体的表現を可能とする西洋絵画の伝統的遠近法から脱却して新たな世界を切り開いた印象派やキュービスムに百年余り先立つ、異なる芸術領域における偉大な先例と見做しても、強ち牽強附会ではないでしょう。

 


個人的にそれを最も強く感じるのは、主題と6つの変奏からなるアンダンテの第三楽章。

 

旋律・和声・律動、どれをとっても奇を衒ったところのない単純とも言えるもので、一聴しての印象もそれら要素から自然に滲み出る地味でおとなしい楽曲ですが、心を集中させた時に見えてくる世界の、何と深遠高邁なこと。

 

ここを中心として、着き過ぎず離れ過ぎない他の楽章が、相互に絶妙の平衡を保ちつつ織り上げる音楽は、繰り返しになりますが正に奇蹟というほかありません。

 


これまで折に触れて、モーツァルトイ長調は「天上の調」の性格を強く帯びているのではないかと書いてきましたが、交響曲第29番からクラリネット五重奏曲および協奏曲へと至る階梯に、ピアノ協奏曲第23番の煌めきなどとともにこの弦楽四重奏曲を据えれば、その思いが一層強まるのです。

 


弦楽四重奏曲 第18番 イ長調 K.464 (ハイドン・セット第5番)
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 メヌエット(Menuetto)
第3楽章 アンダンテ(Andante)
第4楽章 アレグロ(Allegro)

https://www.youtube.com/watch?v=bABjNZnJcp0

 

 

 

 

弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458 "狩" (ハイドン・セット第4番)

モーツァルトがヨーゼフ・ハイドンの作品に啓発されて彫心鏤骨の末書き上げ、その先輩に献呈した六つの弦楽四重奏曲、いわゆるハイドン・セットの中で、最もモーツァルトらしさの感じられるものとして、現在一般的に同セットの第4番に位置付けられている「変ロ長調 K.458 "狩"」を挙げても、大きな異論を呼ぶことはないでしょう。

 

これに加えて、「狩」「狩四重奏曲(Jagdquartett)」などという標題を持つこともあって、この作品は演奏会や録音などに取り上げられる機会も筆頭ではないかと思います。

 


もっとも、例によってこの標題はモーツァルトが付したわけではなく、第一楽章の主題旋律が狩猟のときに吹き鳴らされる角笛の響きを髣髴させるところからそう呼ばれるようになったものですが、単にこれに留まらず、第二楽章はトロット(馬の速足)のようなリズム・テンポで進み、続くアダージョでは、あたかも追跡をやり過ごそうと身を潜めるかの如き清澄な緊迫感に満ち、同時に哀しみと一抹の諦観をも含んでいます。

 

そしてギャロップで迫りくる追っ手を振り切ろうと必死に逃走し、ついにそれを達したかの印象を聴く者に想起させる躍動感溢れる最終楽章――後付けの標題には首を傾げざるを得ないものも少なくありませんが、この「狩」はその例には当たらないと言うべきでしょう。

 

 

 

 


さて、「変ロ長調 K.458」は、1784年の11月9日にウィーンで完成した旨、モーツァルト自身が作品目録に記しているものの、アラン・タイソンによる用紙研究は、自筆譜の一部が1783年に用いられたものであることを指摘しており、同作への着手は完成の日付より一年ほど前だった可能性があります。

 

それは措いて完成日付のみを見た場合、先にご紹介した「弦楽四重奏曲 第16番 変ホ長調 K.428(421b) (ハイドン・セット第3番)」とは一年半近く隔たっており、見逃してはならないのは、作品の内容・情調もそれまでの三曲との間に顕著な差が認められる点です。

 

このことは、翌1985年の2月12日にハイドンや父親を招いて「第18番 イ長調 K.464」「第19番 ハ長調 K.465」などとともに披露した際、レオポルトが「今度の3曲は前のにくらべて幾分やさしいのだが、すばらしい出来栄えだ。」と評していることによっても裏打ちされるでしょう。

 

因みに、「神に誓って正直に申し上げますが、あなたの御子息は、私の知る中で最も偉大な作曲家です。」というハイドンの有名な賛辞も、上の演奏会で作品を聴いての発せられたものであることを記しておきます。

 


では、「前の3曲」と「変ロ長調 K.458」以降の作品との間に横たわる相違は何か――となると、第3番までの湛える、このジャンルの可能性を新たに切り開こうとの情熱、およびそこから自然と生じたのであろう緊張感が、「狩」においては精錬昇華されて影を薄めている点に求められ、その結果として、冒頭に記した「モーツァルトらしさ」が色濃く前面に現れたように思われます。

 

しかし無論、それらの冷たく厳しい要素が完全に消失したわけではなく、明るさと愉しさを基調としながらも、時にふッと姿を見せて絶妙に音楽を引き締めていることは、モーツァルトの他の多くの作品に共通するところで、これをも含めての「らしさ」というべきでしょう。

 


このように、新たな芸術世界の開拓創造と、気負いや衒いなく自らのアイデンティティの表出を両立させることは、モーツァルトほどの天才をもってしても一朝一夕にいくものではなく、上の「狩四重奏曲」自筆譜に関する事実は、やはり早期に着手しながら長い苦闘の末に漸くものした作品であることを示しているように思います。

 


弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458 "狩" (ハイドン・セット第4番)
第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ(Allegro vivace assai)
第2楽章 メヌエットモデラート(Menuetto: Moderato)
第3楽章 アダージョ(Adagio)
第4楽章 アレグロ・アッサイ(Allegro assai)

https://www.youtube.com/watch?v=DYriC3gm2yI