モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K.503

現在番号付けられているモーツァルトの27のピアノ協奏曲群において最も壮麗な連嶺を成しているのは、自ら企画主催した予約演奏会のために書かれた第14番から第25番までの12曲で、特に後半の6曲は一際の威容を見せていると言うことができると思います。

 

その最後方に位置して、先立つ名曲を恰も前山に従えているかのように聳えるのが、「ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503」です。

 

完成されたのは1786年12月4日で、翌5日にトラットナー邸で行われた降臨祭コンサートで初演されたのではないかと考えられているものの、これを裏付ける資料に欠け、定かではありません。

 


この作品の最大の特徴は、端正なドーリア式神殿を想起させる、交響的格調に支配されているという点にあると言えましょう。

 

同じ年の春に書かれた第24番も緊密な構成で貫かれていますが、それに比べても一層堅固な風采を具えています。

 

実際、モーツァルト最晩年の大作にして最後の交響曲である、あの「第41番 ハ長調 K.551 "ジュピター"」を髣髴させる特質から、「ジュピター協奏曲」と呼ばれることもあります。

 


ところで、ここで一つ注目したいのは、これら第24, 25番の二つのピアノ協奏曲がそれぞれ世に出る間に、九ヶ月という空隙のあることです。

 

第24番と平行して「フィガロの結婚」が書かれ、その上演と成功、そしてそれに対する宮廷音楽家の妬みからの陰謀によるともされる不可解な打ち切りなど、モーツァルトの身辺に大きな波乱のあったことは確かにしても、早筆で有名なこの天才にしてこれほど長い間ピアノ協奏曲を書かなかったという事実は、他でもなく、既にウィーン人士の人気を失っていたことを示しているのでしょう。

 

そんな状況下で生み出された第25番ですが――いや、だからこそ、というべきかもしれません――、そこには現世の苦悩を超脱したかの如き清澄なる諦観が溢れているように感じます。

 

 

 

 


試みに、第25番の特質を、既に「互いに対照的」とご紹介した第20, 21, 24番とともに標語的にまとめてみましょう。

 

第20番(K.466):短 熱 協 流 ……
第21番(K.467):長 温 協 流 ……
第24番(K.491):短 寒 交 固 ……
第25番(K.503):長 冷 交 固 ……


あくまで個人的な印象ですが、根が数学屋の私は、これら四曲を並べて見る(聴く)と、Kleinの四元群、あるいは四元数の基底が連想されて来ます。

 

すなわち、四曲の内から二つ選んで「演算」を施すと、それがまた四曲の中の一つとなる――無論、これは明確な根拠を持たない単なる印象で、「演算」を具体的に定義したり、その演算表まで書き上げようとすれば、牽強附会は避けられないでしょうけれども……

 


もう一つ愚見を述べれば、これら四曲の協奏曲は、次の如く交響曲の中にそれぞれ対応する作品を有していると見做せるようにも思っています。

 

第20番(K.466)⇔交響曲第25番(K.183) ニ短調
第21番(K.467)⇔交響曲第29番(K.201) イ長調
第24番(K.491)⇔交響曲第40番(K.550) ニ短調
第25番(K.503)⇔交響曲第41番(K.551) ハ長調

 


さて、第25番協奏曲は、音楽学者や評論家の間で極めて高い評価を博している一方、現在、コンサートやレコーディングで取り上げられることはそれほど多くありません。

 

あまりに整った様式美に聴覚が自然かつ完全に順応してしまい、却って心が動かされないきらいがあるようにも思われます。

 

「水清ければ魚棲まず」というわけです。

 


もう一つ、ピアノ協奏曲でありながら、その交響的構成に独奏楽器であるピアノも取り込まれてしまうため、演奏家の側でも、どうせなら自分のパフォーマンスをよりアピールできる曲を――という気持ちに、ひょっとしたらなるのかもしれません。

 


☆ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
第1楽章 アレグロ・マエストーソ(Allegro maestoso)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 アレグレット(Allegretto)

https://www.youtube.com/watch?v=xrRk-gaAGxQ

 

 

 

 

ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491

「ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467」の次にモーツァルトの書いたこのジャンルにおける作品は、その9ヵ月後の1785年12月16日に完成された「第22番 変ホ長調 K.482」で、さらにそれから4ヶ月を経た翌1786年3月2日には「第23番 イ長調 K.488」がものされています。

 

mozart-cafe.hatenablog.com

 

これら二つも優れたピアノ協奏曲であることは間違いないのですが、そのご紹介は後日へ送り、本稿では続く「第24番 ハ短調 K.491」を取り上げたいと思います。

 

というのは、前記事で軽く触れたように、このハ短調協奏曲と「第21番 ハ長調」および「第20番 ニ短調」との間にはちょっとした対照、関係構造を認めることができるように思われるからです。

 


その前に、まず本作成立の経緯を簡単に述べると、この時期におけるモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の例に漏れず、自ら主催する予約演奏会のために1786年3月24日に完成され、翌月7日にウィーンのブルグ劇場で作曲者自身の独奏により初演されました。

 

しかしながら、この第24番は、第20番とともにこのジャンルにおける例外的な短調作品であり、他の明るく華やかな作品群とは大きく異なる趣を具えています。

 

そして、それが独奏ピアノをはじめ、弦、そしてフルート、オーボエクラリネットファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニという、モーツァルトにとってフル構成といえるオーケストラにより、激しく、しかも緻密に現出される点が最大の特徴と言えます。

 

 

 

 


さて、モーツァルトの生きた時代(いや、いつの時代も同じかもしれません)には、作曲に際しては多かれ少なかれ、いわゆる聴衆受けを念頭に置く必要があったでしょうが、このハ短調協奏曲の厳しく冷たい旋律には、それがほとんど感じられません。

 

この点、ニ短調の第20番よりも一層徹底しており、第二楽章にひと時の安らぎを見出せるのは共通しているものの、終楽章において第20番がユーモラスとも取れる表情を見せて終わるのに対し、第24番の方は冷徹な旋律が変奏曲形式でひたすら淡々と綴られ、やがて自暴自棄とも感じられる形で幕が閉じます。

 

そこには、モーツァルトの作品(特に晩年の)によく見られる諦観もなく、絶望の果ての決意とでもいうべき感情が迸っているように思えてなりません。

 

溶岩の如き、流動的な赤い熱情を思わせる第20番に対し、第24番は硬い氷に閉ざされた青い非情とでも喩えられるのではないでしょうか。

 


一方、ハ長調協奏曲との対比においては、ともに全体が明澄な響きで貫かれていながら、第21番が明るく優美な中に不安と諦観を含んで我々の耳を打つのに反し、第24番がこれらとは対照的な特質を強く帯びていることは上に挙げた通りです。

 


以上述べたことは、あくまで楽曲を聴いての私の個人的印象であり、モーツァルトがそのような作品間の関係を明に意図して曲を書いたと主張するつもりはありません。

 

ただ、無意識裡にそれが現出しないとは限らないことも、否定できないのではないでしょうか。


そして、これに関連しては、あの名高いオペラ・ブッファ「フィガロの結婚 K.492」が、ハ短調協奏曲に先行する形で着手され、並行して書かれていたという事実が小さくない意味を持っているように思います。

 

 

ご存じの通り、この物語は当時まだ支配階級であった貴族を痛烈に批判するもので、皇帝ヨーゼフⅡ世は前年(1785)の1月にボーマルシェ原作の芝居に対して、上演禁止か内容変更の措置を講ずるよう、警察長官ベルゲン伯爵に要請しており、このような逆風の中、それを去なしてオペラ上演を実現するには、表面的には深刻さを排し、喜劇性を前面に押し出す必要があったはず。

 

ところが、モーツァルトの内奥には抑えることのできない鬼火の如き感情(それが何に起因するのかは措くとして)が執拗に燃えており、それが自然とオペラに表出して重さを加えてしまうのを防ぐため、その捌け口(少々言い方は悪いですが、捌かれるのは価値あるもの)が必要で、第24番はその役割を担う一つだった――との解釈も、決して不自然ではないように思うのです。

 


ともあれ、上のようなコントラストに幾分か意識を向けながら演奏を聴いて、悪いことは決してないでしょうし、これによって作品に対する理解――とは言わずとも、関心・興味が高まり深まれば、モーツァルトも認容してくれることでしょう。

 


☆ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 ラルゲット(Larghetto)
第3楽章 アレグレット(Allegretto)

https://www.youtube.com/watch?v=7t-r6x-uth4