ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467 "エルヴィラ・マディガン"
不穏なシンコペーションの旋律により、暗い宿命に対する人間の根源的情念とでも言うべきものを見事に描いた「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」のわずか一ヶ月後、モーツァルトはその対極に位する感のある、清澄な光に満ちた同じジャンルの作品を世人の前に提示して見せました。
「ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467」です。
1784年からモーツァルトが記し始めた自作品目録には、本曲完成の日付として1785年3月9日が記されており、翌10日、ブルク劇場での予約演奏会において、作曲者自身の独奏により初演されたことが知られています。
自作品目録と同じく1784年から開始されたその予約演奏会は非常な成功を収め、当時のモーツァルトは音楽家としてこの世の春を満喫する状況にありました。
そんな中で前作K.466の書かれたことは不思議と言えば言える一方、ハ長調のK.467については、モーツァルトの心情が音楽の形をとって自然に流れ出した印象があります。
しかしながら、そこに聴かれるのはただひたすらに楽天的な気分ではなく、現在浴している幸いの儚さ、それを失うのではないかという不安を裡に秘めたもので、これを醸し出しているのは、第一楽章に鏤められた、変幻自在な転調による美妙な表情の揺蕩いと、続く緩徐楽章におけるこの上なく美しい旋律でしょう。
この旋律は1967年に公開されたスウェーデンのボー・ヴィーデルベリ監督による映画「みじかくも美しく燃え(原題:Elvira Madigan)」に使われた――K.467が「エルヴィラ・マディガン」とも呼ばれる所以――ほか、イージーリスニングにも編曲されているので、ほとんどの方が耳にしたことがあるはずです。
そしてAllegro vivace assaiの終楽章に姿を見せる軽やかなモーツァルトにも、単なる天真爛漫さではなく、上の不安から必死に逃れようとする焦りが感じられ、これは彼の境涯がその後どのような変遷を辿ったか、それを知っていることだけから喚起される心象ではないように思います。
さて、この「ハ長調 K.467」と「ニ短調 K.466」との対照は、両者が続いて書かれたこともあって一層明瞭に看取されますが、さらに翌年初めと終わりにそれぞれ書かれた「第24番 ハ短調 K.491」および「第25番 ハ長調 K.503」にまで、対照性と類似性の関係構造を認めることができるのではないかと、個人的には考えています。
これについては、後の二曲のご紹介と絡めて追って述べましょう。
☆ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
第1楽章 アレグロ・マエストーソ(Allegro maestoso)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ(Allegro vivace assai)
https://www.youtube.com/watch?v=v1FEvl2lcUo