モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

交響曲 第29番 イ長調 K.201(186a)

前記事でご紹介した「交響曲 第25番 ト短調 K.183(173dB) "小ト短調"」が書かれてからほぼ半年後の1774年4月6日、音楽のもう一つの至宝が新たに顕現しました。

 

同じ交響曲ジャンルにおける「第29番 イ長調 K.201(186a)」がそれです。

 


前記事でも述べたように、上の小ト短調交響曲が成ったのは、モーツァルトがウィーンから帰郷した直後のことで、それに先立つイタリア旅行後の4つの交響曲とは大きく趣きを異にしていますが、これはイ長調交響曲にもそのまま当てはまります。

 

その変化を標語的に言えば、「世俗的・表面的な華やかさから高踏的・内面的な細やかさへの希求の移行」とでも表現できるように思います。

 

小ト短調が疾風怒濤精神に基づく情念の爆発とすれば、イ長調の方はそれを超克した静穏の境地と、一聴した両者の印象は全く違いますが、その根底には、音楽的書法の完全ともいえる習得に裏打ちされた感情・精神両面での如意自在な表現力の発露が、精緻極まる形式を具えて具現されている――という通奏低音を聴き取ることができると言えましょう。

 

実際、この両曲は、演奏家・評論家の間で極めて高い評価を博しており、何より作曲者自身もその出来栄えに大きな自負を持っていたことは、これらの書かれた8年後、1782年4月10日の父への手紙において、スヴィーテン男爵の屋敷で演奏するため、同曲の楽譜を送ってほしいと依頼していることからも窺えます。

 

なお、余談となりますが、その際ヴォルフガングは、作品の指定として、それらの冒頭の旋律を楽譜に起こして父へ伝えており、このエピソードはまた、モーツァルトの頭――あるいは心――には、遥か以前に書いた自作がはっきり残っていたということも我々に教えてくれます。

 

 

 

 


さて、「交響曲第29番 イ長調 K.201(186a)」の楽器編成は、弦5部の他にはオーボエとホルンがそれぞれ2本だけという極めてシンプルなもので、その後の交響曲に比べると極めて質素です。

 

しかし、これにより要らぬ装飾を徹底的に排した室内楽的構成美がもたらされ、この作品の芸術的価値を一層高めるに大きく与っていると言えるでしょう。

 

先の小ト短調、このイ長調、それにやはり同時期に書かれた「交響曲 第28番 ハ長調 K. 200(189k)」は、後の三大交響曲、第39番変ホ長調(K.543)、第40番ト短調(K.550)、第41番ハ長調(K.551)の出現を予告するものと称されますが、イ長調については、ここから至る階梯として、弦楽四重奏曲第18番(K.464)、ピアノ協奏曲第23番(K.488)、そして晩年のクラリネットのための2作品、五重奏曲(K.581)と協奏曲(K.622)も忘れるべきではないと思います。

 

黄金色に輝く朝霧が切れ、地上へ降り注ぐ陽の光に吸い上げられるように、澄み渡った中空へと飛翔する主題旋律……このイ長調では、モーツァルトにとって天国はまだ仰ぎ見る位置……けれどもやがて、その世界を水平に見晴らすことになる……

 

これらの曲を聴く度、私はそんな感慨を覚えるのです。

 

☆W.A.モーツァルト「交響曲第29番 イ長調 K.201(186a)」
第1楽章 アレグロ・モデラート(Allegro moderato)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 メヌエット - トリオ(Menuetto - Trio)
第4楽章 アレグロ・コン・スピーリト(Allegro con spirito)

Mozart: Symphony No. 29 in A major, K.201 - Concertgebouw Chamber Orchestra - Live Concert HD - YouTube

 

 

 

交響曲 第25番 ト短調 K.183(173dB) "小ト短調"

冬、凍てつくウィーンの夜――

 

オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の序曲とともに、「モーツァルト、赦してくれ!」との絶叫がある邸から響く――

 

その出所である部屋に駆け付けた執事と従僕が、主人の好物であるスイーツを持参したことを告げ、ドアを開けるよう懇請するが、それに応える様子はない――

 

代わりに聞こえたのは、呻き声と、何かがハープシコードの鍵盤に当たる音――

 

ただならぬ事態を察した執事が体当たりしてドアを破ると、自ら喉を掻き切って血塗れになった主人、アントニオ・サリエリの姿――

 

そして、その情景を一際印象深く見せる、ユニゾンによるシンコペーション……

 


映画「アマデウス」冒頭に使われているこの曲が、「交響曲 第25番 ト短調 K.183(173dB) "小ト短調"」です。

 


1773年春から翌年秋までの間、17, 18歳の時に、モーツァルトは9つの交響曲を作曲しています。


まず、1773年3月、レオポルトに同道しての第3回イタリア旅行から故郷へ戻ったモーツァルトは、一月半の間に4つの交響曲を書き上げました。

 

これらはいずれも3楽章からなる、所謂イタリア風交響曲となっています。

 

そして同年7月、モーツァルトはまた父とともに今度はウィーンを訪問し、9月の終わりに帰郷すると、10月3日に「交響曲 第24番 変ロ長調 K.182(173dA)」を仕上げました。

 

「交響曲 第25番 ト短調 K.183(173dB)」が成ったのはそのわずか二日後の10月5日、まさに一気呵成というべき勢いで書き上げられたのです。

 

 

 

 


さらに、翌年にもさらに3つの交響曲が書かれましたが、これら第24番以降の交響曲は、先のイタリア風の4曲とは趣きを異にする、ウィーン風の作品となっています。

 

すなわち、これら計9つの交響曲は、二度の旅行での経験を音楽に結実したものと見てよいでしょう。

 

特に、ウィーン風交響曲には、このト短調とともに、「天界の調」としてのイ長調が確立されたとも言うべき、高い完成度を誇る「第29番 イ長調 K.201(186a)」も含まれており、音楽の都への訪問が如何に意義深いものであったかを示しています。

 


さて、「交響曲 第25番」が"小ト短調"と呼ばれるのは、モーツァルトの数ある交響曲の中で二つしかない短調作品の一つであり、かつもう一つの「第40番 K.550」と同じ調のためですが、規模こそ第40番に比べると小ぶりながら、内容の充実度から言えば決して小さな作品ではありません。

 

しかもそれが、少年の面影を残す、まだ17歳の作曲家によって生み出されたのですから、驚嘆を禁じ得ません

 

この作品の成立契機に関しては、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの「交響曲 第39番 ト短調 Hob.I:39」の影響が語られるとともに、当時ドイツ語圏を吹き荒れていた文学革新運動「Sturm und Drang(シュトルム・ウント・ドランク)=疾風怒濤」の精神に若いモーツァルトが触発され、共鳴した結果とも考えられています。

 

これら当を得た見解に加えては蛇足となるでしょうけれど、個人的には、1773年の初めに、滞在先のミラノで書かれた「弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 K.159」の第2楽章、ト短調のアレグロにも注目すべきではないかと思っています。

 

ここに原初的芽吹きを認めるとすれば、小ト短調には、単にウィーンの空気のみならず、イタリアの土壌から吸い上げた養分もまた、流れていることになるわけで、これこそ、深い森を駆け抜ける馬車に群れ跳ねながら纏いつく小鬼の如き終楽章に具わる、不気味であると同時に一種ユーモラスなオプティミズムの素因となっているような気がするのです。

 


☆交響曲 第25番 ト長調 K.183(173dB) "小ト短調"

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ(Allegro con brio)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 メヌエット(Menuetto)
第4楽章 アレグロ(Allegro)

https://www.youtube.com/watch?v=ojDuSz7YxTw