ピアノ・ソナタ
ピアノの名手でもあったモーツァルトが手がけた、この楽器のための作品としてもっとも有名なものは、いうまでもなく協奏曲ですが、彼が残した18曲のソナタも忘れるわけにはいきません。
前記事「ソナタ―作品と形式」でご紹介した通り、ピアノ・ソナタは、ピアノ1台で演奏されるソナタ作品です。
ヴォルフガングは、父親レオポルト宛てをはじめとする多くの手紙で、自分の作品について多くを書き残しています。
しかし、ピアノ・ソナタに関するものはほとんどありません。
このことから、モーツァルトはこのジャンルをそれほど重視していなかったと見做されることもあるようですが、むしろその理由は、ピアノ・ソナタ作品の位置づけによるものと考える方が適切でしょう。
モーツァルトのピアノ・ソナタの多くは、演奏会のためや注文に応じて書かれたものではなく、したがって作品のできばえ・聴衆の反応などをそれほど気にしたり報告したりする必要がなかったということです。
しかし、それだけにまた、「普段着のモーツァルト」をその中に見出すことができるとも言えますし、さらに楽器編成がシンプルなだけ、一層彼の個性が明確に現れているとも考えられます。
実際、モーツァルトのピアノ・ソナタは、曲調に関する彼のバリエーションの多彩さを如実に物語っており、協奏曲よりも多様性に富むといっても過言ではないかもしれません。
そんなモーツァルトのピアノ・ソナタは、一般に作曲時期に応じて次の四つのグループに分けられます。
先ずは1774年の暮れから翌75年初めに、旅先のミュンヘンにおいて作曲された第1番 K.279(189d)から第6番 K.284(205b)。
以前は、第5番まではミュンヘン出発前にザルツブルクで書かれ、第6番のみがミュンヘンでデュルニッツ男爵のために作曲されたと考えられていたので、前者は一括して「ザルツブルク・ソナタ」と、そして第6番は「デュルニッツ・ソナタ」と呼ばれていましたが、その後の研究により、現在ではこれら6曲すべてがミュンヘンで誕生したというのが定説です。
この6曲のセットには、直前の1773年、J.ハイドンが発表した六つのピアノ・ソナタ「作品13」に対する意識が作用したのかもしれません。
これらは、モーツァルトにとってピアノ・ソナタの文法習得の意味を持つ作品群と言えるかもしれませんけれど、ニ長調をとるK.284の絢爛豪華な響きの中には、既にこのジャンルに対するモーツァルトの自信が感じられます。
次にピアノ・ソナタが作られるのは、1777年から78年にかけてのマンハイム―パリ旅行の際で、K.309(284b), 311(284c), 310(300d)がその作品です。
この中でもっとも注目されるのは、何といっても「第8番 イ短調 K.310(300d)」でしょう。
モーツァルトのピアノ・ソナタのうち、短調をとるものはこれと「第14番 ハ短調 K.457」の2曲のみで、この第8番については、母の死との関連、あるいはマンハイムで経験したアロイージア・ウェーバーに対する失恋の影響など、さまざまな説が提唱されています。
その当否は措くとしても、アルフレート・アインシュタインが「モーツァルトにとっての絶望の調」と呼んだその特質を、なるほどと看取できる作品であることは間違いありません。
なお、これら一群の作品の成立には、マンハイムへ向かう途中に立ち寄ったアウクスブルクで、シュタインの製造するピアノと出会ったことが強い契機となっていると考えられています。
1783年には、K.330(300h), K.331(300i), K.332(300k), K.333(315c)の4曲が書かれました。
俗に「トルコ行進曲」と呼ばれる第3楽章を持つ「第11番 イ長調 K.331(300i)」、音楽通の間に高い評価を博する「第13番 変ロ長調 K.333(315c)」の芸術的高み、それらにおける自由闊達な筆遣いは、モーツァルトがピアノ・ソナタの書法を完全に自家薬籠中のものとしたことを示しています。
さて、最後のピアノ・ソナタのグループは、ウィーンに居を構えた1784年以降、1788年までの間に生み出されたK.457, K.545, K.570, K.576, K.533/K.494の5曲です。
ハ短調をとる「第14番 K.457」において、非常に緊密な構成、ダイナミックな音型など、後のロマン派を予感させるソナタを完成させ、一つの頂点を極めた印象を受ける一方、その後のソナタにおいては、音の動きが全体的に抑えられ、この作品のようなダイナミズムは影を潜めます。
しかし、「初心者のための小さなソナタ(第15番) ハ長調 K.545」や最後のピアノ・ソナタとなった「第18番 変ロ長調 K.570」の淡々とした静かな旋律の中に、モーツァルト芸術の完成を感じるのは私だけではないはずです。
ご視聴頂く動画としては、通を唸らせる「ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333(315c)」をご紹介しておきましょう。
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 アンダンテ・カンタービレ(Andante cantabile)
第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ(Allegretto grazioso)
ソナタ―作品と形式
クラシック音楽に関する紹介や解説において、「ソナタ」という言葉をよく目にするかと思います。
もちろん、その意味内容を知らなくとも、クラシック音楽を愉しむことはできるわけですが、知ることでさらに視界が開け、視野が広がることもあるでしょうし、何より、疑問点があると気持ちが落ち着かない人もいらっしゃるでしょうから(実は私がその一人)、蛇足と思いながらも、ここでそのご説明をしておくことにします。
まずは言葉の由来から始めましょう(音楽用語の常として、以下の記述に現れるのはいずれもイタリア語です)。
ソナタ(sonata)とは、「鳴り響く」という意味の「ソナーレ(sonare)」に由来する語で、「(楽器により)演奏されるもの」を意味します。
それゆえ、日本では 奏鳴曲(そうめいきょく)とも呼ばれます。
一方、このソナタの対義語として、「歌う=カンターレ(cantare)」から生まれた「カンタータ(cantata)」があることも、覚えておくとよいでしょう。
さて、クラシック音楽において、「〇〇ソナタ」と言えば、これは作品ジャンル、およびそのジャンルに属する作品を示します。
すなわち、交響曲、協奏曲、オペラなどと肩を並べるものとして、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタなどがあるわけです。
このソナタの概念も時代により異なりますが、これが確立されたのは、モーツァルトも属する古典派の時代で、ここにフォーカスすれば、次の三つの特徴を有する作品と言えます。
・原則として3または4楽章からなる器楽曲
・第1楽章はソナタ形式(後述)をとる (ただし、例外も稀ではない)
・楽器編成は「独奏楽器1」、または「独奏楽器1+伴奏(通常はピアノ)」
ここで、例えば交響曲・協奏曲も、一般的に第1楽章はソナタ形式で書かれますし、さらにご存じの通り楽章数はまず3か4なので、上の最初の二つの条件は満たしますが、最後の編成が異なるため、普通ソナタとは呼びません。
強いて言うなら、それぞれ「オーケストラ・ソナタ」、「独奏楽器(例:ピアノ)とオーケストラのためのソナタ」とでもなりますか。
なお、規模の小さいソナタ作品を、特に「ソナチネ」ということがあります。
最後に、ソナタ作品の条件の中に出てきた「ソナタ形式」についてご説明しましょう。
この言葉は「楽曲の形式(略して楽式とも言われます)」の一つを意味します。
すなわち、クラシック音楽作品の基本単位、続けて奏されるまとまりとしての楽曲(例えば一つの楽章)が、どのように成り立っているかという、その型の一つであり、具体的には以下の形式を指します。
序奏→提示部(第1主題、第2主題)→展開部→再現部(第1主題、第2主題)→結尾部
ただし、厳密にこの形式をとる楽曲は決して多くなく、序奏や結尾部が省略されたり、あってもごく短いものだったりするのが普通です。
その意味で、より大まかに
提示部→展開部→再現部
なる構成をソナタ形式と考えることもあります。
ソナタ形式における、提示部と再現部についてはご説明するまでもないでしょうが、それらの間に置かれた展開部とは、謂わば主題を素材としながら、それをさざまな手法で料理する部分で、ここで楽曲に色彩が添えられたり、別の情調を加味されたりする訳です。
以上、おおよそこれくらいのことを頭の片隅に入れておけば、今後、作品紹介・解説をお読みになる際も戸惑うことはないでしょう。