モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

ピアノ・ソナタ 第6番 ニ長調 K.284(K6.205b)

1774年、18歳になった青年音楽家モーツァルトの元に、バイエルン選帝侯マクシミリアンIII世ヨーゼフから謝肉祭用イタリア語オペラの作曲依頼が届きました。

 

もちろんモーツァルトはこれを快諾して鋭意作曲に取り組み、オペラ・ブッファ(喜歌劇)「偽の女庭師 K.196」を書き上げるとともに、この作品を上演するため12月6日にザルツブルクを出発、翌年3月初めにかけてミュンヘンを訪れました。

 

オペラは大きな喝采を博しましたが、出演歌手が病に倒れるといった不慮の出来事などのためわずか三回で打ち切られ、これをきっかけに然るべき職を――と目論んでいたモーツァルト、そして父レオポルトの目論見はまたしても水泡に帰したのです。

 


その失意もあったのでしょうか、モーツァルトはしばらく作曲の筆をおいていましたが、やがてこれもマクシミリアンIII世からの求めに応じて「聖節の奉献歌 "主の御憐みを" ニ短調 K.222(205a)」 を書き、さらに続いて、選帝侯の侍従を務めていた音楽愛好家のデュルニッツ男爵のために、六つのピアノ・ソナタを作曲しました。

 

モーツァルトがこのジャンルに印した初めての足跡です。

 


以前は、この内の第5番まではミュンヘンへ出発する前に故郷ザルツブルクで書かれ、デュルニッツ男爵のためにものされたのは第6番のみと考えられていたため、前者を一括して「ザルツブルクソナタ」、そして第6番を「デュルニッツ・ソナタ」と呼んでいましたが、その後の研究により全六曲がミュンヘンで誕生したというのが定説となっています。

 

しかしながら、長年の慣例を踏襲して、現在でも第6番に「デュルニッツ・ソナタ」の名を冠し、他の五曲と一線が画されることも稀ではありません。

 

 

 

 


そして実際、これを先立つ五作品と並べると際立った特徴がいくつも目に付きます。

 

先ず、作品の物理的規模、すなわち演奏時間が他のほぼ倍に当たる30分にも喃々とする長さを具えていること。

 

加えて音楽的にも、当時次第にその可能性が追及されてきていたピアノという楽器の能力を遺憾なく発揮した大きな世界を描出していることが一聴して看取されるでしょう。

 


また、初めて変奏曲が取り入れられており、終楽章に置かれたそれは、変奏の数・多様さなどさまざまな面において、独立した作品としても何ら違和感のない充実度を示しています。

 

特に、変奏曲に初めて現れた短調の第7変奏は、慎まくも何と見事な効果を醸していることか。

 


モーツァルト自身、この作品には大きな自信を持っていたようで、1777年に母マリア・アンナとともに行ったマンハイム・パリ旅行においても折に触れて演奏したことを故郷の父に宛てた手紙に認めている他、1784年には新たに居を構えたウィーンの地で、「ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333」「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第40番 変ロ長調 K.454」という後の秀作とともに楽譜を出版しています。

 


旅先のミュンヘンで書かれた初めてのピアノ・ソナタは、モーツァルトにとって文法習得の意味も多分にあったはずですが、この「第6番 ニ長調」で早くも一つの俊峰を極めてしまったと言っても、強ち間違いではないように思います。

 


☆ピアノ・ソナタ 第6番 ニ長調 K.284(K6.205b)
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 ポーランド舞曲風ロンド:アンダンテ(Rondeau en Polonaise: Andante)
第3楽章 主題と12の変奏[:アンダンテ](Thema mit 12 Variazionen)

https://www.youtube.com/watch?v=pw7izXch19M

 

 

 

 

ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488

「ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482」の完成から三ヵ月半後、オペラ「フィガロの結婚」の制作も佳境に入った1986年3月に、モーツァルトは新たに二つのピアノ協奏曲を書き上げました。

 

mozart-cafe.hatenablog.com

 

その内の一つが、今回ご紹介する「ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488」です。

 


自作品目録には3月2日という完成日付が書き込まれており、「第24番 ハ短調 K.491」とともに3月から4月にかけて予定されている3回の予約演奏会において披露することが作曲の動機と考えられていますが、実際の初演がいつ行われたかはわかっていません。

 

また、完成日付は作曲者自身の手で記されているので議論の余地はないものの、アラン・タイソンは楽譜用紙の研究から、モーツァルトが同作品に着手したのは数年前である可能性を指摘しています。

 


さて、このK.488を前後の同じピアノ協奏曲の中に置いて眺めると、それらと共通する特質と同時に相違する点も認められることに気付きます。

 


先ず前者については、これを挟む「変ホ長調 K.482」「ハ短調 K.491」同様、オーボエの代わりにクラリネットが使用されていること。

 

また、楽章構成の面で、長―短―長もしくはその鏡像である短―長―短という交代形を採っているのも、これら三曲に共通しています。

 


一方、一気にロマン派の領域へ飛翔したかの如き「ニ短調 K.466」以降の作品では三十分前後の演奏時間を要するのに対し、K.488は一回り短く仕上げられていることに加え、緩徐楽章に対するアダージョ(Adagio)の指定、最後のロ短調を除くそれら大曲全てに華やかな彩りを添えるトランペットとティンパニが用されていない点が、相違として挙げられます。

 

さらに、協奏曲において独奏者に自らの作曲および演奏の技量を示す機会を与えるカデンツァについても、これが置かれているのは第一楽章だけで、しかもモーツァルト自身がこれを総譜に書き込んでおり、その結果室内楽的な緊密性が現出されている事実も注目すべきでしょう。

 


以上のような特質は、K.488に可憐な小花の如き風情を与えており、他の後期ピアノ協奏曲の絢爛さは幾分影を潜めているものの、代わりに前面に現れた洗練された繊細さと優美さが、その十分過ぎる補いとなっています。

 

実際、このことは多くの人々の観取するところとなり、モーツァルトの全作品の中でも非常に高い人気を誇る一曲として愛され続けているのです。

 


この「イ長調 K.488」と次の「ハ短調 K.491」には、それぞれのスケッチと考えられる断片がいくつか残されていること、またオーボエのパートをクラリネットに書き換えたながら、これを含む管楽器全体が決して出しゃばることなく控えめながら深い効果を生み出していることなどを鑑みるに、これは決して偶然の神の気まぐれによるものではないと言うべきでしょう。

 

交響曲第29番、クラリネットの五重奏曲・協奏曲などと共に、「天界へと昇るイ長調の階(きざはし)」の重要な一段を占める作品であることは間違いありません。

 


☆ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 アダージョ(Adagio)
第3楽章 アレグロ・アッサイ(Allegro assai)

https://www.youtube.com/watch?v=DXeBFhqViYg