Mozartの出会った人々(1)―レオポルト・モーツァルト
36年に満たない年月をこの世に送っただけで、その生涯を閉じてしまったヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
しかし、その間に数多の人々と出会い、さまざまな交流を通じて、天与の才に一層の磨きがかけられました。
そんな人々の中で、最も大きな影響を受けた人物は、父親レオポルトといってよいでしょう。
ザルツブルクの宮廷音楽家であったレオポルトは、教育家としても極めて優れていました。
息子のヴォルフガングに、ラテン語をはじめとしてフランス語・イタリア語・英語といった言語や算数など、学校教育なしに基本的な教養を教えたのはレオポルトであり、何より、音楽教育もこの父親によって施されたのです。
また、ヴォルフガンクが生まれた年に出版されたレオポルトのヴァイオリン教則本は、現在でも古典的名著としての評価を保ち続けています。
息子ヴォルフガンクの音楽の才能を早い段階で見抜いた彼は、その才能を伸ばすために用意周到な音楽教育を実施しました。
まず、レオポルトはヴォルフガンクに音楽の基本言語ともいうべきヴァイオリンとクラヴィーア(現在のピアノ)を教えます。
クラヴィーアのレッスンには、姉ナンネルのためにレオポルト自身が編纂した「ナンネルルの音楽帳」という教則本が使われましたが、これにはレッスンの経過とともに、幼いモーツァルトの作曲の成果が記録されており、今では彼の音楽的成長の過程を知る貴重な資料となっています。
演奏の才能にとどまらず、ヴォルフガンクの真の天才は作曲にあると確信した彼は、幼いモーツァルトに作曲の基本も遍く教え込んだのです。
この仕事は、作曲家としての才能にそれほど恵まれていなかったレオポルトにとって、決して容易なものではなかったと思われますが、これもまた立派にやり遂げました。
また、レオポルトは、宮廷音楽家としての職務を長期にわたって中断してまで、幼いモーツァルトを連れてヨーロッパ各地への旅行にたびたび赴きました。
その目的は、音楽を初めとするさまざまな事物を幼いモーツァルトに見聞させて才能を発展させること、および息子の天才を世間に知らしめて音楽家としての名声・地位を確立することにありました。
レオポルトのこの行為は、見世物師的と非難されることもありますが、もしこれがなかったら、モーツァルトの才能があのように遺憾なく開花したかどうか分かりません。
さて、幼い時「一番えらいのは神さま、二番目はお父さん、」と信じていたモーツァルトも、成長するにつれて父親と衝突することが出てきます。
二人の関係および葛藤は、例えば晩年の二つのオペラ、「ドン・ジョヴァンニ (K.527)」における騎士長とドン・ジョヴァンニ、および「魔笛 (K.620)」でのザラストロとタミーノの姿に見ることができるのではないかと考えますが、この辺の話題について詳細を書き始めると切りがなくなってしまうので、別途機会がありましたら取り上げたいと思います。
最後に、騎士長(の亡霊)とドン・ジョヴァンニとの掛け合い、そしてレオポルトの作品を一つ視聴頂いてお別れしましょう。
☆ドン・ジョヴァンニ、汝は我を夕食に招いた、このとおり、参上したぞ!(Don Giovanni a cenar teco m'invitasti e son venuto!")
https://www.youtube.com/watch?v=RzQMtnjiceY
https://www.youtube.com/watch?v=A3BPROHYQIk