ウィーンの夜の帳を引き裂く、「モーツァルト!」という叫びとともに、一人の老人が自殺を図る。
精神病院に運ばれた彼は、自らをアントニオ・サリエリと名乗り、皇帝ヨーゼフ二世に仕えた宮廷作曲家であること、そして自分の人生が一人の天才作曲家によって狂わされてしまったことを語り始める。
そう、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトによって…
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映画「アマデウス」のオープニングです。
ピーター・シェーファー原作、ミロス・フォアマン監督、トム・ハルス主演によるこの映画は、第57回アカデミー作品賞のほか、全8部門を受賞したという話題性もあり、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
「アマデウス」の主題は、一言でいえば「天才に対する凡人の嫉妬・葛藤」であり、サリエリがモーツァルトを死に追いやるというストーリーに絡めてこれが表現されています。
そもそも、サリエリによるモーツァルト殺害説の起源は古く、モーツァルトが亡くなったすぐ後の1790年代には、サリエリがモーツァルトの作品を盗用したり、毒殺しようとしたという風評がたちました。
そして、このことに基づき、ロシアの大詩人プーシキンの手によって劇詩「モーツァルトとサリエリ」が生み出され、リムスキー・コルサコフはそれを同名のオペラに翻案したのです。
映画「アマデウス」もこの流れから生み出されたものといってよいでしょう。
アントニオ・サリエリは1750年8月18日、イタリアのレガノで商人の家に生まれました。
つまり、モーツァルトより6歳年長にあたるわけです。
父から家業を継ぐよう強いられたため、サリエリが音楽の勉強をはじめたのは父親の死後でしたが、やがて1766年にウィーンの宮廷へ招かれ、1788年には宮廷作曲家に任命されて、亡くなる直前の1824年までその地位にありました。
サリエリはウィーンにおいてオペラ・室内楽・宗教音楽の作曲家として名声を博し、ヨーゼフ2世の寵愛を受けて高い社会的地位と音楽界における大きな権力を手中にしたのです。
また、ベートーヴェンやシューベルト、リストは子供時代に彼の指導を受けていることから、音楽の才能を見抜きそれを育てる教育者としての手腕も具えていたことが伺えます。
そんなサリエリですから、モーツァルトがウィーンに姿を現した瞬間、そのきらめくような才能に圧倒されたであろうことは想像に難くありません。
ただ、それだからといって、自分の地位を守るためにモーツァルトを失墜させようと策略をめぐらしたかは定かではありませんし、まして、モーツァルトを殺害したなどという根拠はまったくみつかってはいないのです。
ですから、二人をモチーフにした各作品は、あくまでもフィクションとして観た方がよいと思いますが、映画の中でサリエリが神に向かい、「歌う能力を授けずに、なぜ歌いたいと思わせた――」と問いかける姿は、いつの時代・どの場所でも繰り返される、普遍的な情景に違いありません。
最後に、実際にあったモーツァルトとサリエリのエピソードを一つ。
1786年、ヨーゼフ2世の発案で、シェーンブルン宮殿においてこの二人による一種の音楽コンテストが開催されました。
そのときの作品は、モーツァルトが「劇場支配人 K.486」、一方のサリエリは「まずは音楽、お次が言葉」。
そして、両者を聴き比べたヨーゼフ2世は、サリエリに軍配を上げたのです。
それは報酬額にもあらわれていて、モーツァルトが得た収入はサリエリの半額に過ぎませんでした。
ただ、「劇場支配人」はアリアを4曲しか含まず、オペラというよりも「ジンクシュピール(歌芝居)」と呼ぶべきものであり、モーツァルトの真価を十分に発揮するには題材不足であることは確かです。
どちらもYouTubeで全曲視聴可能ですが、ここではそれぞれの序曲をご紹介しておきましょう。
☆Antonio Salieri:まずは音楽、おつぎが言葉(Prima la musica e poi le parole)
https://www.youtube.com/watch?v=XVDWx3PsrRE
☆Wolfgang Amadeus Mozart:劇場支配人 K.486(Der Schauspieldirektor)
https://www.youtube.com/watch?v=9EjfVyCT5Us