映画「アマデウス」の中では、モーツァルトの曲が実に上手く――もっとも、史実に即しているわけではありません――援用されていますが、現在「セレナード 第10番 変ロ長調 K.361(370a) "グラン・パルティータ"」と呼ばれる作品もその一つと言えるでしょう。
モーツァルトにとって犬猿の仲だった大司教コロレードがウィーンの館で開いた集まりにおいて、サリエリがモーツァルトとは一体どんな人物かと探している内、佳肴の並んだ一室を見つけ、そこへ忍び入って一摘まみ口にした時、一人の娘子に続きそれを追いかけて小柄な男が現れる――
咄嗟に身を潜めたサリエリに気付かず、二人はふしだらな戯れにふけるが、そこへ音楽が流れてくると、男は「僕の曲だ、勝手に始めやがった」と放言してそれが演奏されている場所へ駆け戻っていく――
その小男が指揮を引き継ぎ演奏が一段落した後、譜面台に開かれた楽譜を覗き込んだ時の印象を、後年のサリエリが、
はじめはごく単純に、バスーン(ファゴット)とバセットホルンが軋むようなリズムを刻む……
そこへ天からオーボエの揺るぎない高音が舞い降りて来て、それにクラリネットが続く……
初めて聴く至福の調べ、正しく神の声だ……
と回想するのその曲が、「グラン・パルティータ」です。
もっとも、サリエリの語るこの旋律は、同曲全体の冒頭ではなく、その第三楽章アダージョで、これを見るだけでも史実とは言い難いことが明らかな反面、楽曲援用の巧みさにはやはり感心させられます。
この作品の標題「グラン・パルティータ(Gran Partita=大組曲)」も、例によってモーツァルト自身の付したものではなく、自筆譜の表紙に別人の筆跡で1780年という文字とともに記されていることに因っています。
また、「13管楽器のためのセレナーデ」と呼ばれることもありますが、こちらはこの種の楽曲としては異例の、13という大きな楽器編成が作曲者により指定されているためです。
もっとも、そこには一つの弦楽器、コントラバスが含まれており、いくつかの楽章にピッツィカートの指示も見られるので、厳密には誤りと言うべきながら、コントラバスがコントラファゴットで代用される場合も多いことから、排斥されずに通称として行われているのです。
さて、楽器編成の大きさに加えて演奏時間も一時間に喃々とする大曲、その上内容的にも極めて充実した作品で、自筆譜まで残っているにもかかわらず、「グラン・パルティータ」はその作曲時期・動機ともはっきりしていません。
作曲時期に関して言うと、上の年号は先ずモーツァルト研究家アインシュタインにより1781年へと修正されましたが、その後これに対してもまた疑義が提出され、現在では1783年末から翌年初めに書かれたものと考えられています。
一方の動機に目を向けると、バイエルン選帝侯カール・テオドールの依頼を受けてオペラ「イドメネオ K.366」を書き上げたモーツァルトが、その上演のため訪れたミュンヘンの地で、侯のさらなる思し召しに肖ろうとしたのではないかとのアインシュタインの推測の他、モーツァルト自身のコンスタンツェとの結婚を飾るため、あるいは名クラリネット奏者アントン・シュタドラーの主催した音楽会のため、といった説も唱えられています。
ともあれ、各楽器が自己をはっきりと主張しながら全体として微塵も軋轢のない調和を現出している旋律を耳にするだけでも感得される、その音楽的完成度の高さを鑑みるに、「グラン・パルティータ」は同じジャンルの秀峰たる「変ホ長調 K.375」「ハ短調 K.388」に比肩し、さらには凌駕するともいえる作品であることは間違いなく、「正しく神の声」とのサリエリの感嘆も、至極当然と思われます。
上に挙げたアダージョの他にも、静と動の対照の見事なロマンツェ、人間技と思えない入神の変奏曲、そして聴く者を天上界へと導くかの如きフィナーレ――聴きどころ満載、というより、聴過すべき一音たりとてない、音楽上の至宝――と、この「グラン・パルティータ」を称して、異論の出ることはないでしょう。
☆セレナード 第10番 変ロ長調 K.361(370a) "グラン・パルティータ"
第1楽章 ラルゴ―アレグロ・モルト(Largo - Allegro molto)
第2楽章 メヌエット(Menuetto)
第3楽章 アダージョ(Adagio)
第4楽章 メヌエット:アレグレット(Menuetto: Allegretto)
第5楽章 ロマンツェ(Romance)
第6楽章 主題と変奏:アンダンテ(Thema con variazioni: Andante)
第7楽章 フィナーレ:モルト・アレグロ(Finale: Molto Allegro)
https://www.youtube.com/watch?v=o2BStA39FBI