モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

交響曲 第40番 ト短調 K.550

フランスの劇作家・詩人にして、音楽・美術に関しても優れた評論を物したアンリ・ゲオンは、その著「モーツァルトの散歩」(1932年)において、この天才作曲家の音楽に具わる特質の一つを、「流れゆく悲しさ(tristesse allante)」「爽快な悲しさ(allegre tristesse)」という有名な言葉で表現しています。

 

もっとも、この言葉が我々日本人にとって「有名」なのは、後の1946年12月、小林秀雄が「創元」創刊号に発表した評論「モオツァルト」の中で述べた「モオツァルトのかなしさは疾走する」によるわけですが、当該箇所の直前に、「ゲオンがこれをtristesse allanteと呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一と言で言われた様に思い驚いた」と明記しているので、先陣の功はやはりゲオンにあることになります。

 

ただ、小林秀雄はまた、次のように言って自らの創見を示している事実も、公平のため記しておきましょう。

 

……涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、「万葉」の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい……

 

 

 

 


ところで、ゲオンが「流れゆく悲しさ(tristesse allante)」「疾走するかなしさ」を聴き取ったのは、「フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 K.285」の第一楽章、およびその旋律が長い年月を隔てて再び具現した「弦楽五重奏曲ト短調 K.516」においてで、小林も後者に「疾走するかなしさ」を感得したのですが、他にもこの特質――無論、そこに聴かれるかなしさには一様でないものの――を具えたモーツァルトの作品は少なくないように思います。

 

その一つに、同じト短調の「交響曲 第40番 K.550」を挙げても、強ち間違いとはならないはずです。

 


ご存じの通り、モーツァルトは数多の交響曲を残しましたが、その中で短調をとるのはこの40番と、やはりト短調の「第25番 K.183(173dB)」の二曲のみで、そのためやや規模の小さい25番が"小ト短調"と呼ばれることなどは、以下の記事でご紹介しました。

 

mozart-cafe.hatenablog.com

 


第40番交響曲が完成されたのは、小ト短調を書いた1773年、モーツァルト17歳の時から15年を経た1775年、短命の天才にとっては既に晩年の7月25日のことで、その前後には、この作品を含めて「三大交響曲」と呼ばれる「第39番 変ホ長調 K.543」「第41番 ハ長調 K.551 "ジュピター"」もそれぞれ6月26日、8月10日に誕生しています。

 

つまり、豊かな芸術性と高い完成度を具えたこれほどの大曲を、わずか一月半の間に書き上げてしまったことになります。

 


このように、成立時期についてははっきりしている一方、これら大作の作曲動機や初演の日時に関しては、生前、モーツァルト自身が耳にしたか否かを含めて諸説あるようです。

 

ただ、この頃モーツァルトの経済状態は急速に悪化しており、友人の裕福な織物商人、ミヒャエル・フォン・プフベルクに度重なる借金の申し入れをしていることからも、その苦境を脱しようという目論見の大きく与っていた創作であったことはまず間違いないでしょう。

 

また、初演を示す明確な記録はないものの、初稿の他に、木管パートの追加、第2楽章の改定を施した版が残されていることから、具体的な実演の目途もあったであろうと考えられていますが、これも推測の域に留まっています。

 

これらを鑑みるに、仮にト短調交響曲モーツァルト存命中に演奏されたとしても、大きな反響を世間に惹き起こすには至らなかったことだけは確かなようです。

 

 

 

 


さて、このト短調交響曲は、次の四つの楽章から成っていますが、それらの速度・表情記号からも、その疾風(はやて)の如き性格を窺えるかもしれません。

 

第1楽章 モルトアレグロ(Molto allegro)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 メヌエット:アレグレット(Menuetto : Allegretto)
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ(Finale: Allegro assai)

 

が、それと同時に注目(注耳)したいのが、スコアに忠実に従った場合、実に演奏時間が15分にも喃々とする異例に長大な緩徐楽章。

 

ここには、モーツァルトの「何か」が籠められているはず。

 

先に「交響曲 第41番 ハ長調 K.551 "ジュピター"」において、三大交響曲における本作の位置付けに関する私感を次段のように述べましたが、この緩徐楽章こそ、その階梯の主要部を成すもので、そこを余命幾許もないモーツァルトが、憧憬と畏怖とを交々覚えながらも決して立ち止まることなく登高していく――という連想を、私は禁じ得ません。

 

……敢えてこれら三曲の特質を喩えれば、避けることのできない地上の軛(くびき)・現世の枷という制約に面と向かい合い、これらを克服した末に天上へ飛翔する――すなわち、K.543は地上に建立された大神殿、K.550はそこから天上へ登りゆく階梯、そして天上界の展望の音による表現がK.551であるように思えてならないのです……

 

交響曲 第40番 ト短調 K.550

https://www.youtube.com/watch?v=tL-mSK4NS0A