ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
「ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467」の次にモーツァルトの書いたこのジャンルにおける作品は、その9ヵ月後の1785年12月16日に完成された「第22番 変ホ長調 K.482」で、さらにそれから4ヶ月を経た翌1786年3月2日には「第23番 イ長調 K.488」がものされています。
これら二つも優れたピアノ協奏曲であることは間違いないのですが、そのご紹介は後日へ送り、本稿では続く「第24番 ハ短調 K.491」を取り上げたいと思います。
というのは、前記事で軽く触れたように、このハ短調協奏曲と「第21番 ハ長調」および「第20番 ニ短調」との間にはちょっとした対照、関係構造を認めることができるように思われるからです。
その前に、まず本作成立の経緯を簡単に述べると、この時期におけるモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の例に漏れず、自ら主催する予約演奏会のために1786年3月24日に完成され、翌月7日にウィーンのブルグ劇場で作曲者自身の独奏により初演されました。
しかしながら、この第24番は、第20番とともにこのジャンルにおける例外的な短調作品であり、他の明るく華やかな作品群とは大きく異なる趣を具えています。
そして、それが独奏ピアノをはじめ、弦、そしてフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニという、モーツァルトにとってフル構成といえるオーケストラにより、激しく、しかも緻密に現出される点が最大の特徴と言えます。
さて、モーツァルトの生きた時代(いや、いつの時代も同じかもしれません)には、作曲に際しては多かれ少なかれ、いわゆる聴衆受けを念頭に置く必要があったでしょうが、このハ短調協奏曲の厳しく冷たい旋律には、それがほとんど感じられません。
この点、ニ短調の第20番よりも一層徹底しており、第二楽章にひと時の安らぎを見出せるのは共通しているものの、終楽章において第20番がユーモラスとも取れる表情を見せて終わるのに対し、第24番の方は冷徹な旋律が変奏曲形式でひたすら淡々と綴られ、やがて自暴自棄とも感じられる形で幕が閉じます。
そこには、モーツァルトの作品(特に晩年の)によく見られる諦観もなく、絶望の果ての決意とでもいうべき感情が迸っているように思えてなりません。
溶岩の如き、流動的な赤い熱情を思わせる第20番に対し、第24番は硬い氷に閉ざされた青い非情とでも喩えられるのではないでしょうか。
一方、ハ長調協奏曲との対比においては、ともに全体が明澄な響きで貫かれていながら、第21番が明るく優美な中に不安と諦観を含んで我々の耳を打つのに反し、第24番がこれらとは対照的な特質を強く帯びていることは上に挙げた通りです。
以上述べたことは、あくまで楽曲を聴いての私の個人的印象であり、モーツァルトがそのような作品間の関係を明に意図して曲を書いたと主張するつもりはありません。
ただ、無意識裡にそれが現出しないとは限らないことも、否定できないのではないでしょうか。
そして、これに関連しては、あの名高いオペラ・ブッファ「フィガロの結婚 K.492」が、ハ短調協奏曲に先行する形で着手され、並行して書かれていたという事実が小さくない意味を持っているように思います。
ご存じの通り、この物語は当時まだ支配階級であった貴族を痛烈に批判するもので、皇帝ヨーゼフⅡ世は前年(1785)の1月にボーマルシェ原作の芝居に対して、上演禁止か内容変更の措置を講ずるよう、警察長官ベルゲン伯爵に要請しており、このような逆風の中、それを去なしてオペラ上演を実現するには、表面的には深刻さを排し、喜劇性を前面に押し出す必要があったはず。
ところが、モーツァルトの内奥には抑えることのできない鬼火の如き感情(それが何に起因するのかは措くとして)が執拗に燃えており、それが自然とオペラに表出して重さを加えてしまうのを防ぐため、その捌け口(少々言い方は悪いですが、捌かれるのは価値あるもの)が必要で、第24番はその役割を担う一つだった――との解釈も、決して不自然ではないように思うのです。
ともあれ、上のようなコントラストに幾分か意識を向けながら演奏を聴いて、悪いことは決してないでしょうし、これによって作品に対する理解――とは言わずとも、関心・興味が高まり深まれば、モーツァルトも認容してくれることでしょう。
☆ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
第1楽章 アレグロ(Allegro)
第2楽章 ラルゲット(Larghetto)
第3楽章 アレグレット(Allegretto)
https://www.youtube.com/watch?v=7t-r6x-uth4
ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467 "エルヴィラ・マディガン"
不穏なシンコペーションの旋律により、暗い宿命に対する人間の根源的情念とでも言うべきものを見事に描いた「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」のわずか一ヶ月後、モーツァルトはその対極に位する感のある、清澄な光に満ちた同じジャンルの作品を世人の前に提示して見せました。
「ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467」です。
1784年からモーツァルトが記し始めた自作品目録には、本曲完成の日付として1785年3月9日が記されており、翌10日、ブルク劇場での予約演奏会において、作曲者自身の独奏により初演されたことが知られています。
自作品目録と同じく1784年から開始されたその予約演奏会は非常な成功を収め、当時のモーツァルトは音楽家としてこの世の春を満喫する状況にありました。
そんな中で前作K.466の書かれたことは不思議と言えば言える一方、ハ長調のK.467については、モーツァルトの心情が音楽の形をとって自然に流れ出した印象があります。
しかしながら、そこに聴かれるのはただひたすらに楽天的な気分ではなく、現在浴している幸いの儚さ、それを失うのではないかという不安を裡に秘めたもので、これを醸し出しているのは、第一楽章に鏤められた、変幻自在な転調による美妙な表情の揺蕩いと、続く緩徐楽章におけるこの上なく美しい旋律でしょう。
この旋律は1967年に公開されたスウェーデンのボー・ヴィーデルベリ監督による映画「みじかくも美しく燃え(原題:Elvira Madigan)」に使われた――K.467が「エルヴィラ・マディガン」とも呼ばれる所以――ほか、イージーリスニングにも編曲されているので、ほとんどの方が耳にしたことがあるはずです。
そしてAllegro vivace assaiの終楽章に姿を見せる軽やかなモーツァルトにも、単なる天真爛漫さではなく、上の不安から必死に逃れようとする焦りが感じられ、これは彼の境涯がその後どのような変遷を辿ったか、それを知っていることだけから喚起される心象ではないように思います。
さて、この「ハ長調 K.467」と「ニ短調 K.466」との対照は、両者が続いて書かれたこともあって一層明瞭に看取されますが、さらに翌年初めと終わりにそれぞれ書かれた「第24番 ハ短調 K.491」および「第25番 ハ長調 K.503」にまで、対照性と類似性の関係構造を認めることができるのではないかと、個人的には考えています。
これについては、後の二曲のご紹介と絡めて追って述べましょう。
☆ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
第1楽章 アレグロ・マエストーソ(Allegro maestoso)
第2楽章 アンダンテ(Andante)
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ(Allegro vivace assai)
https://www.youtube.com/watch?v=v1FEvl2lcUo