宗教音楽
モーツァルトは、25歳でウィーンへ移住するまで、ザルツブルクの宮廷音楽家として活動しました。
先に「Mozartゆかりの都市(1)―ザルツブルク」でもご紹介したように、ザルツブルクは現在のヴァチカン市国と同じ教会国家であり、領主はカトリック教会の大司教でした。
したがって、ザルツブルクの宮廷音楽家ということは、とりもなおさず教会に帰属する音楽家ということになります。
このようなキャリア上、モーツァルトが少年時代から多くの宗教音楽を残していることも不思議ではありません。
実際、モーツァルトの宗教作品は50曲あまりに上り、ピアノ協奏曲や交響曲などよりも多いのです。
その、モーツァルトの宗教音楽の中で中心となるのは、19作品を数えるミサ曲、すなわちカトリック教会で行われるミサ(感謝の祭儀)のための作品といってよいでしょう。
モーツァルトのミサ曲は、大きく「ミサ・ソレムニス(Missa Solemnis)」と「ミサ・ブレヴィス(Missa Brevis)」に分けられており、未完の一つを除きすべてが以下の6つの楽曲から構成されています。
第1曲 キリエ(Kyrie、あわれみの讃歌)
第2曲 グロリア(Gloria、栄光の讃歌)
第3曲 クレド(Credo、信仰宣言)
第4曲 サンクトゥス(Sanctus、感謝の讃歌)
第5曲 ベネディクトゥス(Benedictus、ほむべきかな)
第6曲 アニュス・デイ(Agnus Dei、平和の賛歌)
なお、「ミサ・ソレムニス」と「ミサ・ブレヴィス」については、前者が「盛儀ミサ」、後者は「略式ミサ」「小ミサ」と訳されていることから、それぞれの性格は想像頂けると思います。
モーツァルトのミサ曲はその多くが「ブレヴィス」ですが、これは、モーツァルトが16歳の時、新たにザルツブルクの大司教となったヒエローニュムス・コロレード伯の「ミサ曲は簡潔に」との要求に起因するところが小さくないかもしれません。
その中に一曲、「ミサ・ロンガ(Missa Longa)=長いミサ」とレオポルトの手で書き込まれた「ハ長調 K.262(246a)」があり、これは内容的にはミサ・ブレヴィスでありながら、かなり大きな規模を持った異例の作品として知られています。
また、「孤児院ミサ」「雀のミサ」「オルガン・ソロ・ミサ」といった標題は、例によって作曲の契機や作品の特徴などに基づき、後人によって付されたものであることを注記しておきます。
続いて挙げるべきは教会ソナタでしょうか。
これはミサにおけるグロリアとクレドの間にオルガンと共に演奏される小器楽曲を指し、モーツァルトは断片的な作品を除きこれを17曲書いています。
その他、聖務日課の終課で歌われる聖母マリアのための聖歌「レジーナ・チェリ(Regina Coeli)=天の女王」や、「リタニア(Litaniae)=連祷(れんとう)」、「ヴェスペレ(Vesperae)=晩課」、「ディクシット(Dixit)とマニフィカト(Magnificat)、「モテット(Motetus)」なども、モーツァルトは残しています。
そしてもちろんもう一つ、忘れてならない作品が、あの「レクイエム ニ短調 K.626」。
これがモーツァルトの宗教音楽の総集成としてく、燦然と輝いているのです。
このようにバラエティに富んだ宗教音楽を数多残しただけではなく、その内容からいっても、モーツァルトの作品は非常に充実しているのですが、惜しいことに現在では演奏される機会はそれほど多くありません。
唯一の例外は、最後に挙げたレクイエムでしょうけれど、これについては作曲にまつわるドラマティックなエピソードもありますので、後日改めてご紹介したいと思います。
では今回、何をお聴き頂こうかと考えた末、比較的知られており、かつ個人的に思い出の深い「モテット "エクスルターテ・ユビラーテ(Exsultate, Jubilate)=踊れ、喜べ、幸いなる魂よ" K.165(158a)」を選びました。
もうだいぶ前のことになりますが、パリに遊んだ際、トリニテ教会で執り行われるクリスマス・ミサ、といっても本番ではなく、そのリハーサルで静かにこれを聴いたことが、今でも時折、ふと思い起こされるのです。
オペラ
この辺りで、モーツァルトの作品群の中でももっとも華やかなジャンル、オペラを取り上げたいと思います。
モーツァルトがはじめてオペラを作曲したのは1767年、わずか11歳のときのことです。
この作品は「アポロとヒアチントゥス(Apollo et Hyacinthus K.38)」で、ザルツブルクのベネディクト派大学の祝典用として書かれました。
K.38は、我々のイメージするオペラというより、音楽付きのラテン語喜劇といったものですが、それにしても、登場人物のキャラクターや感情・思想などをきちんと把握した上でなければ適切な作曲は絶対にできないことを考えると、11歳という年齢でそれを成し遂げたモーツァルトの才能にはあらためて驚かされます。
その後、36年に満たない短い生涯を終えるまで、モーツァルトはさまざまな機会を逃すことなく、コンスタントにオペラを世に出し続け、その数は未完のいくつかを含めて20余りに及びました。
モーツァルトの生きた18世紀後半は、まだ、作曲家といえばオペラの作曲家を指すほどオペラの存在が大きかった時代であり、モーツァルトもオペラ作家として確固たる地位を築くことを切望していたので、当然といえば当然といえます。
それにしても、オペラ作曲の労力を考えると決して少ない数ではありません。
まして、モーツァルトは他のジャンルでも多くの曲を残していますし、その上35歳という若さで世を去ったことを併せて考えると、やはり驚嘆に値すると言えましょう。
ところで、一口に「オペラ」と言っても、そこにはさまざまなタイプの作品が含まれます。
これらを分類するに、まず、オペラ・ブッファ(喜歌劇)とオペラ・セリア(正歌劇)を挙げることができ、この他にも、ジングシュピール(ドイツ語による歌芝居)、ドラマ・ジョコーソ(滑稽劇)などがあり、さらに、オペラを「歌劇」という広い意味で捉えれば、オラトリオ(聖譚曲=音楽付き宗教劇)、劇場セレナータ(特定の祝祭や祝典のための歌劇)などもこの範疇に入れることができるでしょう。
実際、上に書いた、「モーツァルトのオペラ作品は20余り」とは、これらすべてを含めての数です。
用語についてもう一点。
オペラの紹介や解説において、「アリア(詠唱)」「レチタティーヴォ(叙唱、朗唱)」という言葉を目にされたことがあるかと思いますが、これらも邦訳から類推される如く、前者は普通の意味での「歌」で、当然、ソロ(独唱)、重唱(アンサンブル)、さらに合唱もあり、伴奏もさまざまな形で添えられます。
それに対し、後者は抑揚を付けた台詞のことで、モーツァルトの属する古典派の作品では、チェンバロの伴奏を伴う(レチタティーヴォ・セッコ)のが通例です。
さて、モーツァルトのオペラは、他のジャンルの作品と同様、そのほとんどが見事な出来栄えを示していますが、その中で特に人気のあるものとして、生涯の後半にウィーンで作曲された「フィガロの結婚(Le nozze di Figaro) K.492」、「ドン・ジョバンニ(Don Giovanni) K.527」および「魔笛(Die Zauberflote) K.620」の3曲を挙げることができ、これらはモーツァルトの三大オペラと呼ばれています。
前の二つはイタリア語の作品で、K.492はオペラ・ブッファ、K.527の方はドラマ・ジョコーソに位置づけられており、それぞれ1786年、1787年に書かれました。
ちょうど作曲家として脂の乗り切った時期の作品ということもあって、両者には全体に溌剌としたエネルギーが漲っています。
一方の魔笛はドイツ語のジングシュピールで、モーツァルトの死の年、1791年に生み出されました。
この作品における「死と再生」というテーマには、自らの運命に対するモーツァルトの諦観が現れているようにも思われます。
これらはいずれも、質の面でも規模においても、オペラの魅力を十分に堪能できる作品ですので、はじめてオペラを観るという方にもおすすめです。
特にフィガロの結婚には、有名なアリアがたくさん含まれており、どこかで聴いたことのあるメロディーに必ず出会うはず。
伯爵の侍従フィガロが、伯爵夫人の侍女スザンナとの結婚に際し、目の前に降って湧いたいくつかの問題を持ち前の機転で乗り越えてハッピーエンドに到る軽妙なストーリーと、全体にちりばめられた魅力的なアリアの数々が絶妙にマッチしたこの作品は、初演時にもウィーンの聴衆の大喝采を博しました。
しかし、その人気は長続きせず、急激に評判が低下したため、そこには何らかの陰謀があったのではないかと考えられており、現在でもモーツァルト史の謎の一つとなっています。
その「フィガロの結婚 K.492」全曲の動画をご紹介しておきますが、やはりこれだけ長大なものになると、DVDでの鑑賞、さらにできれば劇場に行かれることをお勧めします。
https://www.youtube.com/watch?v=fef03047ZX8
特に劇場では、オペラそのものだけではなく、日常とは違った独特の雰囲気、その得も言われぬ魅力を味わうことができますので、機会がありましたら是非足を運んでみてください。
ただ、生で観るときの問題点は、オペラはそのほとんどが3時間を越えるような大作ゆえ、気力・体力ともに充実したときでないと、集中して全体を鑑賞することはなかなか難しいということ。
実際、私は集中力が続かない質なので、意識の飛んでしまう時間帯が必ずあります。
もちろん、それはそう長い時間ではないものの、やはり何か損をしたような気分を否めません。
貧乏性なのですね。