モーツァルト・カフェ|名曲・おすすめ作品・エピソードなど

不世出の天才作曲家W.A.モーツァルト。その名曲・代表作・おすすめ作品をはじめ、生涯や音楽上のエピソードなどをご紹介します。

セレナード

セレナードは、各国語でserenade(英), Serenade(独), serenata(伊)と書き、セレナーデ、セレナータなどとも発音されます。

 

もともと、セレナードは、夜、恋人の住む家の窓の下から、その愛しい人に捧げて歌われ、また演奏された音楽を指していましたが、18世紀以降になると、主にオーストリアにおいて、祝宴や祭典など特定の機会のために、主に屋外での演奏を想定して書かれた多楽章形式の器楽曲もセレナードと呼ばれるようになりました。

 

このような由来があるため、日本語ではセレナードを「夜曲(やきょく)」、あるいは「小夜曲(さよきょく)」と言うことがあります。

 

また、その性質上、音楽そのものの価値に重きを置く交響曲や協奏曲といった絶対音楽に比べ、楽章数が多い、曲調が軽い、響きの心地よさを目指すといった特色を具えています。

 

なお、セレナードの近縁ジャンルとして、ディヴェルティメント(喜遊曲)がありますが、こちらは主に室内での演奏、よりカジュアルな機会が念頭に置かれるのが通例であり、それだけにセレナードよりも小規模で、一層愉悦的となる傾向が見られます。

 


さて、モーツァルトは、これらのジャンルにおいても、大小さまざまの、綺羅星の如き作品を少なからず残しています。

 

慣習的に、セレナードは13まで、ディヴェルティメントの方は17まで番号付けて呼ばれることがありますけれど、例によってこのカテゴライズ、ナンバリングは後人によるものです。

 

これらの内、最も有名な曲としては、何といっても「セレナード第13番 ト長調 K.525 アイネ・クライネ・ナハトムジーク」に指が折られるでしょう。

 

しかし、この作品は次稿にご紹介することとし、ここでは、管楽のための「セレナード第10番 変ロ長調 K.361 グラン・パルティータ」を取り上げたいと思います。

 

 

 


通常の管楽八重奏(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2)に加え、さらにホルン2、バセットホルン2とコントラバスを要する編成、および全7楽章という規模の大きさは、まさに「グラン・パルティータ(Gran Partita、大組曲)」と称されるに相応しく、またコントラバスの代わりにコントラファゴットが用いられることもあるため、本作は「13管楽器のためのセレナード」とも呼ばれます(これらの呼称も、モーツァルト自身によるものではありません)。

 

これほどの大作、しかも極めて内容の充実した作品でありながら、正確な作曲の動機、作曲年ともに明らかでなく、ただ、当時の名クラリネット奏者アントン・シュタードラーによる演奏を想定し、1783年末から1784年初めに書かれたと推定されているだけなのは残念です。

 

その推定の間接的裏付けとして、クラリネットの特質、その音色の魅力が遺憾なく活かされている点が上げられますが、単にそれだけでなく、他の楽器もまたそれぞれ聴かせどころを持ち、かつ互いに響きを高め合っている様相は、正に神業によるというほかありません。

 

一人は皆のために、皆は一人のために――という言詞の、音楽における一つの好例だと思います。

 

因みに、モーツァルトは後に、このアントン・シュタードラーのためにクラリネット五重奏曲とクラリネット協奏曲を書いており、これらもまた傑作中の傑作となっています。

 


では、最後に、楽章構成をご紹介した上で、動画にてお聴きいただきましょう。

 

第3楽章のアダージョは、映画「アマデウス」の中で、サリエリが初めてモーツァルトと邂逅し、それを追想する場面で、実に効果的に使われています。

 

☆セレナード第10番 変ロ長調 K.361 グラン・パルティータ
・第1楽章 ラルゴ―アレグロ・モルト(Largo - Allegro molto)
・第2楽章 メヌエット(Menuetto)
・第3楽章 アダージョ(Adagio)
・第4楽章 メヌエット:アレグレット(Menuetto: Allegretto)
・第5楽章 ロマンツェ(Romance)
・第6楽章 主題と6つの変奏:アンダンテ(Thema Con 6 Variazioni: Andante)
・第7楽章 モルト・アレグロ(Molto allegro)

https://www.youtube.com/watch?v=LBjDdKdq_tQ

 

 

Mozartの出会った人々(3)―コンスタンツェ・ウェーバー・モーツァルト

「音楽家の三大悪妻」をご存じでしょうか?

 

ヨーゼフ・ハイドンの妻マリア・アンナ・アロイジア・ケラー、モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてチャイコフスキーの妻アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリューコヴァです。

 

一方、より広い範囲の「世界三大悪妻」となると、さまざまな異説はあるのでしょうが、一般には、マリア・アンナとアントニーナ・ミリューコヴァに入れ替わって、ソクラテスの妻クサンティッペ、レフ・トルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナが登場します。

 

つまり、コンスタンツェは、いずれの場合もその地位を譲ることのない、押しも押されもせぬ悪妻とみなされているわけです。

 

コンスタンツェ・ウェーバー・モーツァルトの肖像

 


1777年、モーツァルトは21歳のとき、職を求めてマンハイム・パリへの旅行を行い、その途中で出会ったアロイジア・ウェーバーに恋をします。

 

音楽の才能に恵まれていたアロイジアの心を靡かせようと、モーツァルトは数曲のアリアを贈りますが、結局、彼女のハートを射止めることはできませんでした。

 

さらに、就職活動は失敗に終わり、7月3日には同行した母アンナ・マリーアがパリで亡くなってしまいます。

 

まさに「踏んだり蹴ったり」の旅でした。

 

 

 


それから数年の後、ザルツブルク大司教と決別してウィーンに活躍の場を求めたモーツァルトは、奇縁というのでしょうか、アロイジアの実家であるウェーバー家に下宿することになります。

 

そこでアロイジアの妹であるコンスタンツェと毎日顔を合わせるうちに、二人はお互いに親愛の情を深めていきました。

 

この様子をみたウェーバー家の主、未亡人ツェツェリーア(英語ではセシリア)は、四人姉妹の中で一番目立たないコンスタンツェをモーツァルトと結婚させようと目論み、二人が逢うことを突然禁止したうえで、コンスタンツェに逢いたければ結婚の誓約書にサインするよう、モーツァルトに迫ったのです。

 

この誓約書には、3年以内に結婚しない場合、以後約200万円を毎年支払うことが記されていました。

 

モーツァルトはこの要求に応じ、1年あまり付き合った後、父親レオポルトの猛反対を押し切ってにコンスタンツェと結婚。

 

1782年、モーツァルト26歳の時のことでした。

 


さて、コンスタンツェが「悪妻」と呼ばれる所以(ゆえん)は、彼女の浪費癖や、家事一般への無関心、夫であるモーツァルトをほったらかして温泉旅行に行ってしまうような態度、さらにはレオポルトやナンネルとの不仲といった点にあります。

 

ですが、浪費癖はモーツァルト自身の方がずっと甚だしかったようですし、家庭生活についても、コンスタンツェを非難する充分な資格がモーツァルトにあったとも思えません。

 

天真爛漫、というか天衣無縫なモーツァルトの傍らで、しっかりと家庭を維持できる「良妻」など、望むべくもないというのが現実かもしれません。

 

 

 


ただ、後世の我々にとって残念なのことが二つあります。

 

まず、モーツァルトが亡くなったとき、コンスタンツェは体調不良を理由に葬儀に出席しなかったため、この天才の葬られた正確な場所がわからなくなってしまったこと。

 

もう一つは、コンスタンツェの再婚相手であるデンマークの外交官ニッセンが、崇拝していたモーツァルトの自筆譜や手紙を整理した際、自分にとって都合の悪い資料を彼女が処分してしまったことです。

 

もしこれらの行為がなければ、いま我々はモーツァルトについてもう少し詳しいことを知ることができたはずですから。

 


最後に、コンスタンツェに所縁(ゆかり)のある曲をご紹介しておきましょう。

 

とはいっても、コンスタンツェは姉のアロイジアほど音楽の才能には恵まれていなかったため、めぼしい作品はほとんどないというのが実情です。

 

ある程度のスケールをもった作品としては、未完成ですが、コンスタンツェとの結婚の請願として生まれ故郷ザルツブルクの教会へ奉献しようと考えた「大ミサ曲 ハ短調 K.427(417a)」がほとんど唯一のもので、しかも結婚が延期となった上ザルツブルクへ行くことができず、未完に終わっています。

 

☆大ミサ曲 ハ短調 K.427(417a)
第1曲 キリエ(Kyrie、あわれみの讃歌)
第2曲 グロリア(Gloria、栄光の讃歌)
第3曲(未完) クレド(Credo、信仰宣言)
第4曲 サンクトゥス(Sanctus、感謝の讃歌)
第5曲 ベネディクトゥス(Benedictus、ほむべきかな)
(未完) アニュス・デイ(Agnus Dei、平和の賛歌)

https://www.youtube.com/watch?v=Ez0kqVShFEs